平和の礎たる大東亜聖戦大碑
(平成22年)

針原 崇志

「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生れた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々は、この二つの日を忘れてはならない。」
(ククリット・プラモート=元タイ首相)

この言葉が端的に示しているように、大東亜戦争は欧米列強の植民地であったアジア諸国を解放した聖戦であり、かかる聖戦を戦ったことは我が日本民族の誇るべき栄光の歴史である。
それとともに忘れてならないのは、大東亜戦争はひとり我が国のみが戦ったのではなく、アジア諸民族の協力を得て戦い抜いた戦争であったという点である。当然ながら、その中には当時日本国民であった朝鮮人や台湾人も含まれる。

つまり、アジア諸民族が力を合わせてアジアの独立を勝ち取った大東亜戦争は、日本の栄光の歴史であるのみならず、アジア諸民族共通の栄光の歴史といっても過言ではない。
この栄光をアジア諸民族が共有し、誇りを分かち合い、互に敬意と感謝の念を抱き続けることこそ、アジア諸民族の紐帯をより強固なものとし、真のアジア平和につながるのではなかろうか。

「八紘為宇」の文字を刻む大東亜聖戦大碑はまさにかかる思想を体現するものであり、アジア平和の礎として、これを未来永劫護り継いでいかなければならない。

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