中国に奪われた「日の丸油田」
(平成28年)

針原 崇志

【かつての「日の丸油田」に中国旗、内部を初取材】
こんなニュースがYahooニュースに載っていました。

記事の内容を意訳すると・・・

イランに、世界最大級の「アザデガン油田」という油田があります。
この油田は、かつて日本企業が75%の権益を掌握していて
日本の資源政策のカギを握る重要な油田として、「日の丸油田」と呼ばれていました。
ところが2010年(平成22年)
対イラン制裁を強化するアメリカから圧力を受けて、日本も撤退してしまいました。

そして先月、アメリカがイラン制裁を解除したのに伴って、日本も制裁を解除して
再びイランとの関係強化に向けて動き出しました。
しかし、時すでに遅し!
かつての「日の丸油田」には、すでに中国旗が翻っていましたとさ。

・・・という内容です。

この件に関しては、残念ながら中国を非難することはできないでしょう。
「あれ? いい油田なのにいらないの? それじゃ、もらっちゃうよ」と
日本が「捨てた」油田を、中国が「拾った」だけです。

情けないというか、マヌケというか・・・

「いつまでもアメリカの腰巾着のままだと、こうなっちゃうよ」という好例です。
アメリカからの圧力なんて、のらりくらりとかわして、日本独自で・・・
でも、当時は鳩山・菅の時代、いまも安倍晋米の時代・・・ムリか・・・

ともあれ
もともとイランは、きわめて親日的な国です。
イランが親日になったきっかけの一つに、「日章丸事件」という出来事があります。

ざっくり説明すると・・・

1953年(昭和28年)、イギリスとイランは紛争状態にありました。
ある日、イギリスは
「イランから石油を買うんじゃねえぞ!イランから買った石油を運ぶ船は沈めてやるぞ!」
と宣言しました。
石油を売ることで財政をまかなっていたイランは、とても困ってしまいました。

一方、その当時の日本も、独立を回復した直後で
まだアメリカやイギリスに命じられたルートでしか石油を入手できない状況でした。

「日本もイランも困っている。それじゃ、日本がイランから直接石油を買おうじゃないか!」
というわけで立ち上がったのが、出光佐三、出光興産の創業者です。

危険を省みず、イギリスの警戒の目をかいくぐりながら
イランで買い付けた石油を満載した日章丸を無事帰国させることに成功しました。
そうして、戦勝国の恫喝に屈することなく
イランの窮地を救うとともに、日本独自の石油の輸入ルートを開拓しましたとさ。
めでたし、めでたし・・・

今回の件とは正反対の図式です。
片や、終戦直後、戦勝国の圧力に屈せず、イランと日本を救った出光佐三。
片や、終戦70年、戦勝国の圧力に屈して、中国に油田を乗っ取られたマヌケな現在の日本。
時を経るにつれて、日本は独立自尊の気概を失っているようですね。

「もはや戦後ではない」
この言葉が発せられて60年にもなりますが、まだまだ「戦後」のままです。
日本が独立自尊の気概を取り戻して、初めて「戦後」が終わるのではないのでしょうか?

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