中核派を他山の石に
(平成28年)

針原 崇志

中核派・・・
昭和40年代頃を彷彿とさせる懐かしい名前ですが、まだ現役で活動していたんですね。

その中核派のメンバーが、威力業務妨害で逮捕されたそうです。
昨年10月、安保法制に反対する抗議活動の一環として
京都大学の校舎の一部にバリケードを築いて授業を妨害していたとのこと。
活動のしかたも昭和40年代そのもの・・・まさに「生きた化石」ですね。

そうして
「日本も戦争に加わろうとし、世界中で戦争や反対運動が起きている。
我々はただ座って授業を受けているだけでいいのか。今こそ立ち上がるべき時ではないのか!」
なんて叫んでいたようです。

でも、これに対する学生の反応は
「英語の授業に出られない」「マジ迷惑」等々・・・
で結局、バリケードは撤去されたそうです。警察や大学によってではなく、学生によって・・・
敵ながら、なんとも切なく、憐れみさえ覚えます。

ただ、このみじめな道化師を笑ってばかりもいられないのではないでしょうか?

「自主憲法制定」
「尖閣、竹島、北方領土は日本の領土」
「在日特権を許さない」

たとえ主張内容は正しくても
これを、たとえば軍歌をガンガン鳴らしながら主張したらどうなるか。

「チッ、うるせぇな」「ウザい」「マジ迷惑」
で終わってしまうしょうね。
私自身、主張内容には大いに賛同しますし、カラオケで軍歌を歌ったりもしますが
やはり違和感を覚えます。
(もっとも、街宣右翼の中には「愛国者」を貶めるための在日の成りすましも多いようですが・・・)

軍歌ガンガンは極端にしても
主張方法がマズければ、たとえ主張内容が正しくても
それが相手に伝わらないばかりか
かえってその主張内容そのものが、おかしな色眼鏡で見られることになってしまいます。
十年一日のごときネトウヨのステレオタイプの嫌韓発言もその一つといえるでしょう。

主張する以上、それが相手に伝わらなければ意味がありません。
(憂国を主張する自分に酔いしれるのが目的であれば別ですが)

では、どうすれば一般の方々に主張が伝わり、共感を得られるか?
・・・という良案があるわけではありませんが
とりあえず、仏教でいうところの「和顔愛語」(わげんあいご)は、最低限心がけるべきでしょうね。

勇ましい愛国的発言を勇ましく、いかめしいドヤ顔で発言して悦に入るのではなく
穏やかな顔つき(和顔)で、優しい言葉遣い(愛語)で
「相手に伝える」ということを意識しないと意味がないのではないでしょうか。

ともあれ
「何を主張するか」だけではなく
「どのように主張するか」ということも
しっかりと考えるべきでしょうね。

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