国辱

針生 俊


「占領軍の行動は、一般的に非の打ちどころがなかった。日本の古い慣習は、次々に占領軍兵士の示すお手本にとってかわられ、日本人の心の中には、この兵士たちを賛美する気持ちが芽生えてきた。占領軍兵士は真の親善大使であった。」
(マッカーサー回想記)

私は今だにかかる人物や米国を持ちあげる日本人が多いことに驚くのだが、彼らの行状は決してそんなものではなかった。

「朝霧、立川、横須賀を見て、私の驚くことの一つに、占領軍の要求で生れた兵士相手の日本人売春婦の数が異常なまでに多くて、私は戦時中支那にいたことがあるので承知しているが、日本軍の周辺に、支那の女がワンサカとたかっているという、そんな風景は見たこともありませんでした。」
(堀田善衛 昭和27年 婦人公論)

「米軍が進駐するまでに日本にはパンパンという言葉はなかった。勿論日本には赤線があったが、あんなに大量に、露骨に、そして厚顔無恥に女の貞操が売春された例は恐らく歴史にその類があるまい。これは誠に国辱である。
日本の可憐な若い女が金で、金でだ、白昼公然と毛唐のオモチャになっているのを見て、なぜ独立後の日本人が、特に青年が腹を立てないかを不思議に思う。」
(武藤運十郎 代議士 昭和27年 文藝春秋)

「米海軍基地に提供された横須賀は同時にパンパンの密集する国際的な赤線区域として知られている。その一大産業の裏側では新興ヨコスカ財閥と戦後のヤミでふとった第三国人資本がシコタマもうけているのである。米兵の演技もまた、この舞台装置にふさわしく、彼らの露出的な性行動は、まるで春画をテレビジョンにかけたような感じである。窓を開けっぱなしにした部屋、建物のかげ、ボートの中、神社の拝殿、学校の教室、公園のベンチ、リンタクのシート、はたの目をはばからぬ犬や猫に近い生行為である。米兵は人間の羞恥心をだれかにあずけておいて、日本へやってくるのであろうか。」
(神崎清 ルポルタージュヨコスカ 昭和27年 婦人公論)

「パンパンは驚くほど広範囲に、私達の身近な処にもいるのだ。彼女らの語るパンパンの生活は、想像し難いまでに苛酷であり悲惨である。それはもう到底人間の生活と云い得るものではない。しかも私達が耳を掩い、苦痛の呻きを発したくなる程の醜悪なこの話を、彼女らはまるで無感動に、普通の世話をする時ほどの表情の動きさえも示さずに、私に語ったのだ。」
(太田春子 立川の街娼と語る 昭和26年)

「職業的なパンパンばかりでなく、良家の女性までが、やすやすと外国の兵隊に身をまかせていく事実、日本の女を手に入れることに成功した兵士同志の手柄話のようなものをぶちまけて、自国の兵隊の不品行には目をつむりながら、こういう日本女性の印象を持ち帰るのです。日本と言う国は、品性も道徳もわきまえぬ動物的な女性ばかりの国だと。さんざん遊んだ後で古いシューズのように投げすてても、大してうらまれる心配がなかった。慰謝料とか損害賠償とかいって、さんざんにさわぐ米国婦人とちがい、日本の女性は、すべてを運命と考えて、諦めてくれるからであった。」
(神崎清 昭和27年 改造)

長くなったので、当時の資料の一部を掲げただけで今回は終る。六年半を超えるGHQの言論統制が解けたが故に記された、独立直後の日本人の偽らざることばである。

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