日本の矜持を毀損し続ける虚妄の平和外交
(平成22年)

針生 俊

日韓併合百年に当り、菅内閣は村山談話を踏襲、深化して、新たな叩頭外交に一歩踏み込んだ。しかもこれは靖國参拝問題と共に、爾後の首相を踏み絵として拘束し、日本を永劫の謝罪国家にしようとするものである。
昭和40年の日韓基本条約は当時の国家予算の一割強を支払うことで、ようやく合意した。今回の菅談話は、戦前からの日本の大陸経営の苦労(ほとんど持ち出し)と、終戦時の半島での同胞の悲惨な実態を知る当時の日本人への、許し難い背信行為である。

終戦時、日本人は南鮮に約50万、北鮮に29万、満洲からの避難民6万いたといわれ、朝鮮人は各地で公然と日本の諸施設や日本人の財産を略奪し始めた。集団強盗が横行し、虐殺、強姦事件も多発した。南鮮に9月8日ホッジ率いる米軍が進駐すると公有、私有を問わず、日本人の財産を全て没収した。明らかな国際法上の犯罪行為である。

「30年、40年、親子2代3代にわたって営々と築いた血と汗の結晶も、目ぼしい日本人の財産は悉く強奪されたのだ。日本人の預金は一切凍結された。引き上げにはリュックサック一つしか許されない。
それでも、二人三人と組んだ朝鮮人の強盗が宵の口を狙って、最後の金、最後のリュックまで持って行った。米軍は何を取り上げても全て、品目と金額の書いた小さな紙切れを渡すだけである。あとで証拠となるようなものは何一つよこさなかった。実に公然たる略奪である。」
(元京城日報社主筆 中保与作氏)

日本が奪われた資産は、官民合わせて当時の一年分の国家予算に匹敵した。故に戦後の条約締結に至る交渉中の韓国の賠償請求に、日本側が論外のことと思ったのは当然である。それでも当時の池田内閣は日韓友好のために涙をのんで支払ったのである。

真実を聞く耳を持った者ならば、我が国の償いは十分すぎるほどに済んでいると理解しなければなるまい。
むしろ終戦前後の日本人に対する虐殺暴行、強姦、略奪などをことさら隠蔽し、我が国の子々孫々に犯罪意識を植え付けることによって辛うじて成立しているような善隣友好や、占領教育によって父祖との紐帯を断たれ、米国文明に接木された奇形種ともいうべき戦後世代の愚かな日本人による、嘘で嘘を固めたその場しのぎの弥縫策の如き平和外交こそ、真の恒久平和に背離し、未来に新たな火種を用意するものである。

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