映画「南京の真実」を見て
(平成20年)
堀岡 忠敏
真実の歴史を語り得ない国家は不幸であり、また真実の歴史を学び得ない子供達は、国家に対する関心が希薄であるが故に、自らを育んでくれた郷土や母国に対する誇りも、また一片の愛情も持たない、そんな国家に輝く未来はない。
しかも、勝者が敗者を裁いた東京裁判、そんな謀略・東京裁判史観にマインドコントロールされ続けてきた。戦後日本の社会風潮であればあるだけに、その迷妄を徹底的に打破しなければならない、という一途な思いで、日本の歴史に真実の日の目を見させるべくプロデュースされた若き水島監督の力作が、日本の再生再建の極めて大きな原動力の一環となるであろうことを切望してやまないところであるが、そのため、これからどのように展開され完結されるのか知り得ないけれども、ともあれ、映画「南京の真実」に寄せる私達の期待は絶大である。
平成19年12月28日付産経新聞によれば
『南京陥落70年に当る平成19年12月13日、改装工事が進められていた中国の「南京大虐殺記念館」が新装公開され、展示面積は12倍、写真は6倍に増えた。資料面でも本腰を入れて収集し、未来永劫、日本を糾弾する材料にする中国側の決意にいささかの緩みもないことが明らかになった。』
と報道されながら、産経新聞が中心となり日本のマスメディア一体となって、中国を非難する姿勢の一端すら今日まで見出し得ない。
これはNHKをはじめマスコミは全て亡国謀略にやられているとしか言わざるを得ない。限りない義憤を禁じえない。
南京攻略の時点から既に70年を閲する今日、南京大虐殺の妄想が日本を糾弾する材料として利用されているのは、その背後に、アメリカその他の対日謀略が今日もなお根強く蠢いている何よりの証拠である。
東京裁判終結後、裁判長ウェッブは「平和に対する罪は事後法であるから、これだけで死刑は適当でない」という意見を述べ、一方マッカーサー自身も、昭和25年10月、ウェーク島でトルーマンと会見した際、「東京裁判は誤りだった」と告白した。
東京裁判の主役者、裁判長ウェッブとその最高責任者マッカーサー両者の歴史的発言を無視して「極東国際軍事裁判所の裁判を受諾」を条件として、昭和26年9月8日、対日講和条約を締結せしめたのは、その主役を演じたアメリカそしてイギリスによる「世紀の謀略」以外の何ものでもない。
東京裁判を仕組んだ張本人であるマッカーサーが、昭和26年5月3日、アメリカの軍事外交合同委員会の聴聞会において、「日本の戦争は侵略戦争などではなく、日本は安全保障の必要に迫られ戦争に突入した」と証言しているのである。
それは、大東亜戦争を日本の侵略戦争と決めつけ、日本を裁いた東京裁判結審2年半後のことであり、更に驚くべきことは、サンフランシスコ対日講和条約締結4か月前のことであり、このマッカーサー証言が、現に今もインターネットで堂々と流されているにもかかわらず、日本の政府もマスコミも国民に公表しないのは、政治家たちの重大責任である。
アメリカはマッカーサー証言に一片の関心を示すどころか、真珠湾口にいつ頃から建てられたのか定かでないけれども、「リメンバー・パールバーバー」の標識を掲げて、「戦争を仕掛けたのは日本だ。悪い奴は日本だ」と言わんばかりに、歴史の真実を無視した。今日も変わらぬアメリカの居丈高な姿勢に対し断固たり得ない、戦後日本の政治家の面々に極まりない義憤を禁じえないのは、あながち私のみではあるまい。