米・中、対日工作の成果
(平成23年)

大東亜青年塾副塾長

上谷 親夫

最近の鳩山、菅と続いた国家を代表すべき首相の、人間としての低劣、政治を行うものとしての失格を見せつけられるにつけ、このような人間を選び出した国会議員、そしてこの国会議員を選出した国民のレベルの低さを思わざるを得ない。

これはアメリカが我が国に対しておこなった、民族の歴史を否定し、教育を崩壊させるという占領政策の見事な成果といわざるを得ない。民族が歴史を否定され、その教育を崩壊されたならばどの様な国民ができるかという、典型的なサンプル国家がここに出現したのである。
今年も教科書の改定年にあたっているが、自分の国を悪しざまに記述する教科書が、国(文科省)の検定を通るということ自体が、その特徴的な現象である。
敗戦後まもなくアメリカの占領政策により、刑務所から出て来た共産党幹部の志賀義雄は
「暴力による革命は不要。歴史、民族を否定し、教員組合を牛耳って教育さえ崩壊させれば、30年、50年の後には、必ず革命は達成できる」と豪語していた。

中国は田中角栄内閣が成立直後『日本解放第二期工作要綱』なる、対日工作を列記した機密文書を策定している。以下その成果を挙げている項目を列記する。


● 工作員は中国に対する高官、親近感を抱かせ、警戒心を無意識に捨てさせる。

● 中国の書画、民族舞踊団、スポーツ選手の派遣を通じ、日本大衆に中国が「輝かしい伝統文化の国」「文科を重んじ平和を愛する民族」のイメージを植え付け、高まらせる。

● 全国の主要都市すべて又大学に中国語学習センター「孔子学院」を開設し、教師を無報酬で派遣する。
(金沢の私立大学でも開設されている)

● 今日「マスコミ」は世論造成の不可欠の道具であり、マスコミが支配する集団の意思が世論を形成するのである。田中内閣成立後、日本の保守反動政府を包囲して国交正常化へと追い込んだのは、第一期工作員の輝かしい成果である。雑誌、週刊誌に対する工作には十分な人員・経費を投入して掌握し、十人の記者よりは、一人の編集責任者を獲得せよ。

● 在野諸党の反政府活動は、一貫してこれを支持する。大衆が異なる政党の共闘を怪しまず、これに馴染むことは在野諸党の連合政府樹立を許容する最大の温床となることを銘記し、共闘賛美を強力になさしめるべきである。

● テレビのニュース・報道の利用価値は極めて高い。これらの画面は真実を伝えるものではなく、目的意識を持って作られるべきものである。真実を伝えると称してなされる暴露報道を、絶対放置してはならない。これらは誹謗デマで両国関係を破壊するものであるとして日本政府に厳重抗議するとともに、責任者を告訴して根絶を期すべきである。

● 「民主」とは、国家権力の排除をいう。「平和」とは反戦・不戦思想の定着をいう。
(この普及は、着々と成功している。「反戦・不戦で尊いものは平和」ということになれば、侵略に対しては降伏しかない。「戦わず争わず」競争意識の排除も見事に成功している。)

● 国会議員を個別に掌握し秘密裏に本工作の支配下に置くとし、議員一人に付き最小四本の接触線を設定すること。各党の役職者・派閥の長・有力者については、その秘書、家族、強い影響力を持つ者に、個別に最小二本の接触線を設定し、知り得た全情報を整理し、公私生活の全貌を細大漏らさず掌握する。
そして「我が方に利用できる者」と「打倒排除すべき者」に区別し、後者はその党内における勢力を削ぎ、発言権を低下せしめ孤立に向かわせる。「掌握・打倒」に際しては、その議員の弱点を利用する。敵の無血占領はこの一事にかかっていることを思い、いかなる困難、醜悪なる手段も厭ってはならない。

● 自民党工作については最終的にこれを解体し、多数の小党に分裂せしめる。その手段として、党内派閥の対立を激化させる。その最も有効な方法は、非主流派となり、政治資金の調達に困難を生じている各派に、個別に十分な政治資金を与えることである。

● 対社会・公明・民社各党に対する工作の基本方針は、各党内の派閥闘争を激化せしめ、工作による操縦を容易ならしめる。

● アメリカが日本の教育理念・制度を徹底的に破壊し、国家・民族を口にする事が、あの悲惨な敗戦をもたらした軍国主義に直結するものであると教育させたことは、高く評価されねばならない。

●日本において両院の議員総数の過半さえ掌握すれば、人民の意思とは関係なく、任意の者を総理となし得る。国会議員の過半数をわが工作班の掌握の下に置き、首班指名選挙でわが方の望む人物を選出させ、民主連合政府を成立させねばならない。


平成20年4月26日、北京オリンピックにおける「長野聖火リレー」において、沿道の示威行為に参加した5,000人を超える中国人の動員体制は、腰の引けた日本警察の対応を含め、在日工作員の実力を示す、極めて象徴的な出来事であった。

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