「協議」ではない
(平成17年)

大東亜青年塾副塾長

上谷 親夫

北朝鮮による我が国民の拉致問題は、「拉致」などと言う、普段使いなれない言葉を使うから問題の本質がボケてしまうのであって、これは明らかに暴力によって、ある人は腕づくで、ある人は麻の袋に詰め込まれて、日本国内から強奪されたのであって、日本国民が強盗されたのである。
この強盗された人々を取り返すのに我が国政府は、首相をはじめ外務省の面々は、北朝鮮へ「協議」に出かけて行った。
そもそも協議と言うのは、お互い立場が五分と五分の者の間になされる話し合いの事であって、他国の国民をその国に押し入って強奪してきたような、100パーセント非は強盗側にあるような事犯は、協議すべき対象にはならない、あくまでも談判・要求すべき事柄なのである。「協議する」などというフヤけた考えで赴くから、成果が得られないのである。この問題は、飽くまでも盗らわれた国民を取り返す、断固たる交渉ごとなのである。
ましてやこの交渉の結果を「手柄話」にしようとしたり、国内政治のテコに使ったりするような不純な動機で臨めば、たちどころに相手に足元を見られ、彼の国が賓客を迎える迎賓館に先に到着し、指定された位置に立ち並ばされ、盗賊の頭目・金正日の到着を我が国の首相一行が待つという、全く情けなくて正視に耐えぬような情景が現出したのである。そしてこのようなスタートをした会見の結果は、現在耳にし目にするような、惨憺たるものである。
我々は物事の本質をよく見極め、それにふさわしい言葉を使って、その本質がボカされないように把握しなければならないのである。

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