民主亡国論
(平成20年)

大東亜青年塾副塾長

上谷 親夫

現在のような政治体制を続ける限り、遠からぬ将来において、わが国は滅亡の運命を辿らざるを得ないであろう。

先ず国会議員の選出である。如何なる国民も悪平等に、一票の権利しか行使できない。
そして選出される者は、本人の人格や識見・能力よりも、何よりも問われるのは集票力である。現在選出されているのは先ず、選挙基盤、後援会組織が確立している世襲議員。次に大きな組織を背景にした官僚議員、業界議員、労組議員。そして人気のあるタレント、スポーツ選手などである。

代々の父祖に依って築かれた選挙基盤によって易々と当選して来るモヤシのような世襲議員―政見も能力もなく、ただ営業として己が選挙基盤の整備にのみ執心している姿は、とても一国の政治を任せられる人間ではない。
官僚組織、業界組織、労働組合組織から選出されてくる議員も、己が次回の選挙のこと、選挙母体の評判のことしか眼中になく、これまたとても国政を任せられる人物が選出されることは、難しい状態である。

この様な議員によって、次は一国の総理となるべき首相選出が行われる。首班となった人物は、当然選出に際して功労のあった議員に対して、論功行賞的に各省大臣の椅子を振り当てる。その際に、本人の適格・能力は一応は考慮されるであろうが、それはあくまでも第二義的であって、選考の基準はやはり首班選挙への貢献であり、その後の忠誠度であり、野党への対策である。

この様にして生まれた各省大臣は、果して国益に適う政策の実行のができるのであろうか。実際の実務はすべて官僚に任せ、自身は大臣を笠に着て次回の選挙の地固めに余念のない者、私財の蓄財に精励する者などが群生しているというのが実態である。どうせ各省大臣といえども余程のことがない限り、次回の選挙までの寿命である。それが尚却って、この様な卑屈な行動に走らせるのであろう。

この様な人間によって行われているのが、わが国の民主政治といわれているものの実態である。国民の活力が、年と共に衰退してきているのは、じかに肌に感じられるのである。

民主国イギリスのもと首相チャーチルは
「民主主義の政治形態―これほど愚かしいものはない。しかし他に替わるものがないから、今はこれで行くより仕方がない」
と言っている。
民主主義とは何も至上のものではない。その字会が常に必要なのである。

去る9月に行われた自民党の総裁選には、5人の立候補があったが、その選挙運動なるものは全く芸能人の人気投票のアクションと変わらぬ、見るに堪えぬものであった。

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