大東亜戦争の厳正なる評価を
(平成11年)
元関東軍参謀・歴史家
草地 貞吾
思へば、昭和天皇崩御され給うた昭和64年1月7日、現内閣総理大臣小渕恵三氏は、当時における竹下内閣の官房長官として「平成」なる文字を謹書した色紙を奉持し、これを回しながら一般大衆の視聴に供し
「本日、新天皇陛下即位され給ふについては、過般制定された元号法に依り、翌日改元とし、明8日から平成元年と決定された」旨を厳粛・荘重かついとも満足気に放映宣示した。而して、平成の意味は「地平に天成る」といふ、洵にお目度い古義より採択したものであることも附言、説明した。
余談ながらあの風貌は小渕首相一生の晴れ場として国民の多くが視聴したものであり、恰も十年後における自民党総裁選に勝利の一助ともなったのではないか。
然るにこの十年間におけるわが国の歩みを見るに、以前にも増して戦後民主主義なる非目的思想・悪習が露出・蔓延し、平成といふ元号の真意と全く相反する事態の山積してゐることは残念の極みである。
即ち政府・議会をはじめ、財界も学界もまた官僚の末に至るまで、今上陛下の大御心を奉戴して国家の康寧、世界の平和のため、各々その本文を尽してゐるとは思はれないからだ。
正しく今日のわが国は天皇御一人の御稜威(みいつ)によってのみ保ってゐる感がする。
実に日本は天皇の国である。昭和天皇の御大喪儀に際しては、敬弔のため全世界より164ヶ国の元首・首相級が参加された。この一事が既に日本の元首は天皇なりと万邦は認識してゐるのである。
さて、ここにおいて老耄なれども私は大東亜戦争に従軍参加した一員として、大東亜戦争の世界史的点検・評価をされんことを日本全国民はもとより、万国の識者に向って進言する。
つらつら世界歴史を大観するに、いはゆる大航海時代以降500年、世界は全く西欧白人の専制時代であった。第一次大戦(欧州大戦といふのが当ってゐる)後のベルサイユ条約で、わが国が提案した人類・人種差別撤廃法をにべなく否定した白人幕府は旧にも増して世界制覇競争に乗り出し、身内にナチスやファッショの思想まで産んで、遂に第二次大戦に突入する始末となった。この際、米国より長期間に亘る交渉を無視した最後通牒、無法のハル・ノートがわが国に押しつけられたので、自存自衛と東亜解放を旗印とした大東亜戦争の開始となった。「これならルクセンブルクやモナコのやうな小国でも起ちあがる…」と、印度のパール判事をして言はしめたものである。
かくて、壮大・雄偉なる大東亜戦争緒戦の一撃で、アジア要域の占領成り、有色人種の覚醒を促し、結果的には戦後五十年足らずにして、長期間五十余ヶ国しかなかった全世界に二百ヶ国に近い自主・独立国が出現し、色合ひによる人類・人種の差別も無くなったのである。正しく明治維新によって日本の武家時代が終わった如く、大東亜戦争に依って世界の白人時代が消えたのである。
実に大東亜戦争こそ青天白日の世界維新であり、聖なる人類・人種革命であったのだ。然るに何処をどう間違へたか、今や侵略戦争の標本として、その名前すら歴史書になく、勇戦敢闘した靖国の神々まで単なる戦争犠牲者として国家の手より離され、総理大臣の公式参拝さへ、歴史の共有と称する珍妙な理屈から、実現の気配はない。私に言はしむれば、大東亜戦争の戦後処理が拙劣であったのだ。占領軍が一方的に日本弱体を目的とする諸施策 ― 即ち憲法の押し付け、極東国際軍事裁判(東京裁判)の実行、厳密なる言論統制、神道指令、歴史教育の廃止等々を無茶・無法に(何度繰り返しても言ひ足りない)断行したのだ。
世界人類の英知が発見・発明したケンカ両成敗原理はこの大東亜戦争には全然考慮されなかった。
現在NHKの大河ドラマで、船橋聖一氏原作の「元禄繚乱」といふのが放映されてゐる。NHKそのものの放映意図は別として、私は作者船橋氏の心中を憶測してみた。
あの作品は昭和30年ごろのもののやうであるが、然りとすれば朝鮮動乱が終結して、サンフランシスコ条約も締結され、わが国もだんだん戦後復興・再建の緒に就いた自分だ。船橋氏はその頃既にケンカ両成敗が世界人類に普遍的なる慣習法であることに気づいてゐたにちがひない。
と、いふのも、文人の特権を活用して、日本ではいつ実演しても、また誰が書いても文句ない忠臣蔵劇(赤穂浪士事件)を「元禄繚乱」の名目の下に、ケンカ両成敗を風刺・啓発するかの如き筆致をもって、見事に書き上げてゐるからである。「昭和繚乱」が出てもいい時分だ。今年は今上陛下御即位10年を衷心奉祝するものであるが完全に無視されてゐる大東亜戦争の厳正なる評価がなければ真の慶祝とはならない。