久懐の「士規七則」
(平成18年)
弁護士、大東亜青年塾教授
南出喜久治
ここに、松陰先生、すなわち二十一回猛士松陰吉田寅次郎矩方の「士規七則」が座右にある。
原文は漢文であるが、これを読み下すと、かうである。
一 凡そ生まれて人たらば、宜しく人の禽獣に異る所以を知るべし。蓋し人には五倫有り。而して君臣父子を最も大なりと為す。故に人の人たる所以は、忠孝を本と為す。
一 凡そ皇国に生れては、宜しく君が宇内に尊き所以を知るべし。蓋し皇朝は萬葉一統にして、邦国の士夫は録位を世襲し、人君は民を養ひ以て祖業を続ぎ、臣民は君に忠して以て父志を継ぐ。君臣一體、忠孝一致、唯吾が国のみ然りと為す。
一 士の道は義より大なるは莫し。義は勇に因りて行はれ、勇は義に因りて長ず。士の行ひは質実にして欺かざるを以て要と為し、巧詐にして過ちをかざるを以て恥と為す。光明正大、皆これより出づ。
一 人は古今に通ぜず、聖賢を師とせざれば、則ち鄙夫なるのみ。書を読み友を尚ぶは君子の事なり。
一 徳を成し材を達するには、師恩友益は多きに居る。故に君主は交遊を慎む。
一 死而後己の四字、言簡にして義廣し。堅忍果決にして確乎として抜くべからざる者は、是を舎きて術なきなり。
憲法のこと、教育のこと、歴史のこと、靖國のことなど、凡そ国体に連なる事柄について巧言令色の奇を衒った売文の徒による言説が多い昨今、そんな雑音に一喜一憂して心を惑はさせることなく、しみじみとこの「士規七則」を読み深めれば、自づとみえてくるものがある。
「昭和」を戦前、戦中、戦後といふ単なる三分法ではなく、この「戦後」には我が国史上初の占領期といふ「非独立時代」の桎梏があることを直視すれば、占領憲法や占領典範といふ、この時代の「奇胎」を「無効」とすることは萬葉一統の伝統に照らして当然の帰結である。それゆゑ、非独立時代(占領時代)の奇胎である占領憲法と占領典範を無効であるとして、これらを敢然淘汰することができないいっさいの言説は、いづれも「まやかし物」であり、「士規七則」に悖ることは明らかである。