大東亜聖戦大碑護持会実行委員長を拝命して
(平成22年)

大東亜聖戦祭実行委員長

諸橋 茂一

今般、「日本をまもる会」の中田会長より、「大東亜聖戦大碑護持会」次期実行委員長の指名を受けました。
浅学非才の小生に取りまして身に余る重責ではございますが、中田会長より指名された以上は身を挺してその責務を果たしていきます。

中田会長は戦後シベリア抑留から帰国され、当時、共産勢力が跋扈していた我が国の状況を見るに見かねて、我が国の将来に大きな憂いを抱かれ、数年間勤務された国税局を退職されて、日本を守る為の活動に身を投ぜられました。

その後、中田会長は数々の困難を乗り越えられて、草地貞吾先生や米沢外秋元県議会議長、名越二荒之助先生、中村粲先生、板垣正元参議院議員をはじめ多くの皆様の御協力を得ながら、尚且つ全国から(一億円を超える)多額の協賛金を得て、多くの左翼勢力の数々の妨害にも屈せず、平成12年8月4日、石川県護國神社境内に立派な「大東亜聖戦大碑」を見事建立されました。そして、その後は毎年「大東亜聖戦祭」の実行委員長として、その重責を果たしてこられましたことも周知のとおりでございます。
その御功績は実に偉大なものがございます。
大東亜聖戦大碑建立に至る道は大変な困難の連続であったことと拝察申し上げます。

中田会長がその様な偉業を成し遂げられたのは、一言でいえば「村山談話」の否定であり、我が国は決して「村山談話」にあるような侵略戦争を戦ったのではなく、「大東亜戦争」は人類史上類のない「聖戦」であったことを後世に形として残し伝えんがためでした。事実、人類史上「大東亜戦争」以上の「聖戦」はありません。我が国の父祖の方々で侵略戦争を戦った人など唯の一人もおられません。我々の父祖の方々は、「我が国を護る為と数百年間欧米の植民地となっていたアジアを解放する為に」戦われたのです。
6年8ヶ月に亘るGHQの日本人弱体化自虐洗脳占領政策、並びに日教組による歪んだ自虐教育及び多くのマスコミの自虐偏向報道等によって、歪んだ自虐史観を身に付けた村山富市や河野洋平並びに菅直人の様な不勉強極まりない政治家たちが「自虐談話」を発表することがどれだけ我が国の国益並びに国家と(父祖の方々を含む)国民の名誉と誇りを大きく損ね続けるかという簡単なことさえ理解できずに、中国や韓国に媚びへつらう自虐談話を発表してきました。
実にお粗末極まりないことです。

我が国を一方的に悪者に仕立て上げようとして、国際法違反の「東京裁判」を強行し、約20万人の人たちを公職追放し、マスコミを完全統制化において日本悪玉論を報道させ、7700余冊の書籍を焚書坑儒し、国際法に違反して現憲法を押し付け、(このような教育を続ければ日本人が立派に育つと困るからと)教育勅語を廃止させ、(武道をさせると日本人が心身ともに立派に育つと困るからと)柔剣道を禁止し・・・様々な日本人弱体化政策を続けたマッカーサーが、昭和25年10月15日、ウェーキ―島において、トルーマン米国大統領(当時)に対して、「東京裁判は誤りであった」と述べ、その翌年、昭和26年5月3日、米国上院の軍事外交合同委員会において、「日本が戦ったその多くは(日本の)自衛のためであった・・・」と述べた事が、「大東亜戦争」が如何なる戦争であったかの全てを物語っております。

平成13年に挙行された第一回大東亜聖戦祭の際に、当時の靖国神社の宮司様より、「本来であれば、この大碑は靖国神社の境内に造るべきものであります。しかし、諸般の事情がそれを許しません。石川県に聖戦大碑を建立頂きましたことに対して衷心よりお礼を申し述べます」という電報が届きました。
我々は、我が国が自国を護るためと人類を解放する為に、尊い命を捧げられた先人の方々の「尊い死」を決して無にしないために、併せて、中田会長はじめ「大東亜聖戦大碑」建立のために多大な御尽力を頂きました諸先輩の方々の志を受け継ぎ、人類史上類のない聖戦であった「大東亜戦争」の大いなる意義を後世に伝えるために全力を尽くすことをお約束致しまして、実行委員長就任御挨拶とさせて頂きます。

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