尖閣諸島領有権についての概略
(平成20年)

石垣市議会議員

仲間 均

明治27年に沖縄県知事が尖閣諸島を県の所轄とする国標を建て政府に上申書を提出。
その後、政府は再三現地調査を実施し、当時の清国(現在の中国)を含むいかなる外国の支配も及んでいないことを確認し、明治28年の閣議決定により尖閣諸島を沖縄県に編入、わが国の領土とすることになりました。竹島も時を同じくしてわが国の領土となっております。

以来、尖閣諸島は世界各国の地図の上でも中国の教科書にも日本の領土として公認されております。

大正8年、魚釣島付近で遭難した中国福建省漁民31人が豊川善佐らによって救助され、その後石垣市が全員を収容し中国へ無事送還しました。
翌大正9年9月20日、豊川氏ら4人に贈られた中国長崎領事からの感謝状には中国の漁民が遭遇した場所を日本帝国沖縄県八重山郡尖閣諸島と記されており、中国の外交文書にも日本領土として明記されています。
この様に尖閣諸島は歴史的にも国際法上もわが国の固有領土であることは疑う余地がありません。

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