「南京事件」映画化
― 安倍内閣に正々堂々の対応望む ―

(平成19年)

獨協大学名誉教授

中村 粲

安倍首相は、未だ靖國神社参拝こそ行ってはゐないものの、歴代首相とは違ふ明確な歴史観を心に深く蔵してゐることは間違ひないと信ずる。その歴史観をいつ、どのような形で表出するか、国民は固唾を呑んで注視してゐる。
今年は恰も南京陥落70周年。支那、米国、カナダなどで所謂「南京大虐殺」の映画が何本も作られる予定だと云ふ。市民30万虐殺といふ荒唐無稽な内容であることは間違ひない。我国はこれに沈黙してゐてはならない。はっきりと反撃すべきである。正に安倍内閣がその歴史観を世界に発信する絶好の機会が到来したと考へるべきであらう。
併しそれは、南京に於て我が軍の行った不法殺害はゼロであったとする所謂「幻派」的見解では有効な反論反撃にはなるまいと思ふ。それでは世界の世論も動かぬであらうし、世界人士を説得するのは無理である。
私は、あったことはあったと正々堂々認めることが我が方の議論を説得力あらしめる大前提であると信ずる。例へば捕虜の大量不法処断があったことは遺憾ながら事実である。各所で行はれた捕虜(多くは便衣着用)の大量殺害が無辜の市民の大虐殺といふ話に歪曲誇張されて出来上がったのが30万市民虐殺説であった。軍服を便意に着換へた捕虜の大量処断の目撃者は日本人にも外国人にも居り、それを否認することは出来ない。
だが、仮令不法であったとしても、左様な捕虜の処断と、無辜の市民を計画的組織的に30万人以上殺害したのとは全然別の話であり、市民30万人虐殺説はきっぱり否認せねばならない。また否認する材料や資料には事欠かない筈である。
南京での不法殺害をゼロあるいは限りなくゼロに近いなどと強弁するよりも、捕虜の大量不法処断の事実はきちんと認めた上で、それが「市民30万人虐殺」の話とは全く違ふことを主張する方が説得力があると思ふ。事実は吾に不利でも率直にこれを認め、他方、捏造や創作はきっぱり否認するといった論争姿勢こそ論敵を動揺させ、国際世論を味方にする事にもつながるに違ひない。
「南京事件」映画化といふ支那主導の対日攻勢に際会したこの機に、安倍内閣が「南京事件」等の歴史問題に正々堂々対応することを期待したい。



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