民族精神の滅亡を憂へる
(平成16年)
二水会会長
中村 三郎
戦後60年の歳月が流れたが、我々は大東亜戦争の渦中に文字通り身命を賭して国難打開に挺身した。
戦後は廃墟の中から立ち上がり、今日の平和と繁栄を築きあげる中核となってきた。我々戦中派がひそかにそれを誇りと考えることは僭越であろうか。
然し我々が前世代から受け継いだ民族の精神を十分に次の世代に引き渡し得たであろうか。
我々の先輩が骨の髄まで諭してくれた「信義」「礼節」「勤勉」「質実」「謙譲」「廉恥」という徳操を次の世代に伝承し得たか否か?ここに大きい危惧と忸怩たる反省がある。
翻って移り変わりゆく世相をみるとき、このまま進むと現実の繁栄とは裏腹に「日本の将来はどうなるか」という危機感に襲われる。「栄枯盛衰世の習い、驕れる平家は久しからず」という古語もある。
そしてそれが我々世代の怠慢による民族精神伝承の欠陥に基づくものではないかと反省する時激しい焦燥を感ずる。
痛憤の涙をのんで散華した至純至高の刎頚の友の鎮魂の為に滔々たる世の流れに桿して、このことを次の世代に正しく引き継がねばならないと切に思うのである。
祖国の為に殉じた戦死者に対する敬慕の念は世界共通の常識である。何処の国の元首も国民を代表して自国はもとより外国の戦没者墓地にも参拝する。これは共産主義国家においても同様殉国の霊に敬虔な祈りを捧げている。
ところが戦後の日本では「政教分離に反し憲法違反である」として靖國神社に元首は参拝しない。しかもマスコミは一部閣僚の参拝について公人か私人かと愚にもつかない質問を浴びせ、諸外国の嘲笑を招いている。
昭和26年4月3日に法律第126号を以て制定された宗教法人第2条の規定からしても首相の靖国神社参拝が違法でないのは明瞭である。それが戦後誤解されてきた原因は神道に対する認識不足によるものである。
「世界の常識が日本に通用しない非常識」と云われるが、一体なぜこういうことになったのか、物の面では高度の経済成長に依って恵まれた国であるが、精神面においてどうか?誠に寒々としたものを覚えるのである。
戦後の日本人の考え方が根本的に変わってきたのはやはり東京裁判の影響で、これは日本の弱体化を狙った占領軍が大東亜戦争は人類に対する犯罪であると断定し、勝者の一方的判断で日本人の国家観、民族意識を抹殺しようとした。
誠に残念至極なことにこの占領軍の意図は完全に達成され日本の尊い伝統や文化は阻害され、日本の過去をすべて否定する自虐心が定着し、エゴイズムが横行し、国家民族の為と言う意識は地を払い世界でも例のない国となってしまった。
一国を代表する首相が侵略、陳謝、謝罪を繰り返しているが、米国は無差別爆撃・原爆で約100万人を殺した。またソ連は中立条約を破棄して侵略、暴行、略奪、殺人の限りを尽くした上、シベリア抑留の事など全く問題にならない矛盾をどう解釈するか。