昭和殉難者に捧げる
(平成15年)
中村 三郎
戦勝国が敗戦国の最高指導者の多数を事後法をつくり戦犯として処刑した例は東京裁判以外には見当たらない。条約を一方的に破って、満洲に侵攻してきたソ連軍の最高司令官たちはどうだったか。人道に逆行した非道に対して裁判し処刑すべきに英雄として凱旋して居る。これは戦犯裁判なるものが勝者による敗者への私刑に相当する不条理極まる断罪であることを示す顕著な例である。
国際法に反し有無を言わさず裁かれ無念の刑死を遂げられた方々は、己の死によって相手方の態度が緩和されることを願って刑を受けたのである。こうした無念の死を遂げた方々をいつまでも戦犯呼ばわりする事は決して許されるべきことではない。敗戦という結末ではあったが、一身をなげうって祖国のため真摯敢闘された神聖な御霊をこのようにしておく事は慙愧の念に堪え難いところである。
連合国の巧妙極まる知能と脅迫作戦にまんまとのせられ、半世紀を経た今日でも自虐的史観を脱する事が出来ず、真の日本人の自覚を持ち得ないことは誠に残念至極なことである。敢えて戦犯というならば一億一心老幼婦女子に至るまで身命を賭して奮闘した一億国民すべてが戦犯ということになる。こうした無念の死を遂げた法無視の御霊を昭和殉難者として最大限の敬意と弔意を捧げることは日本国民として当然のことなのである。
高野山の閑静な院の奥の山麓には昭和殉難者の碑が粛然と建っている。
「黙して語らず」1068柱の神々の御芳名が整然と刻まれている。
私はその御霊の前に跪き、立ち去り難い深い思いに沈んだのである嗚呼!