百年前朝鮮を巡る情勢
(平成8年)

日本をまもる会会長、大東亜青年塾塾長

中田 清康


子供の頃、あまり遠くないところに貧しい朝鮮人部落があり、そこの子供達と仲良く遊び学んだ。そのうちの一人、都鳳龍(トホーリュー)は特に私と中が良く、体も大きく腕力もあり、いつもガキ大将であった。勉強もかなりできたしトーサンと呼ばれてクラスの人気者でもあった。彼の弁当は御飯に醤油をかけてあるだけで、服飾はなくいつも廻りの子供から旨そうなものを取り上げて食べていた。このヤンチャ坊主が家へ帰ると全くおとなしく、親に口答えをするのを見たことがない。絶対服従であった。我家のすぐ裏が清流犀川の堤防で、そこから板一枚の桟橋を上り下りし河原の砂利揚げをしていたトーサンの親達と、私の母は時折休憩時間に駄菓子などをもって行き話をしていた。「アチラは貧乏で日本へ来た、日本人は皆優しくて、暮らしやすい、子供が仲良くしてもらって有難い。」とトーサンの親が言っていたと私は母に聞いて子供心に嬉しかった。

このトーサンが星山直一になったと喜んで私に話しに来たことは忘れられない。昭和17年秋、当時関東陸軍倉庫に勤めていた父の世話で彼は軍属となり、喜び勇んで満洲へ渡った。当時新京(長春)にいた私と吉野町の寿司屋で会食をした時彼は、「朴は半島人だがアジア人として又日本国民として誇りを持って一生懸命にやりたい」と熱っぽく語り、軍属になったことを心から喜んでいた。互いに健闘を誓い合って別れたことが昨日のことのように懐かしく思いだされる。私もその後応召、入隊、ソ連軍侵攻、シベリア強制連行と戦中戦後激動の渦中、彼との音信もなく消息不明である。半島同胞の一人が、彼はシベリアへ連れて行かれたか、満洲から半島へ入り朝鮮戦争で戦死したのではないかと言っていたが真偽はわからない。もう夢の彼方であるが60年以上昔のほのぼのとした想い出、親に絶対服従の姿や希望に満ちて抱負を語っていた彼、半島人でよき日本国民であったトーサンが懐かしく偲ばれる。余談だが当時国外での半島人は私の知る限り日本国民であることにすごく誇りを持っていたことは事実である。日支事変で、日本兵を指揮し支那軍に対し大戦功を立て金鵄勲章まで授けられた金部隊長の活躍が新聞で伝わったときなど、数百年に亘る宗主国であった中国の軍を半島の将校が日本兵を指揮して打ち破ったという民族的な誇りと共に高まったその感激は大きく内鮮一体の実はいやが上にも高揚したのであった。しかし戦後韓国の態度は腹に据えかねることが多い。これが日本国民として共に戦った朝鮮同胞とすればその変節は驚くべきである。現状は韓国の反日教育と報道等の結果であるが、全く許せない事ばかりである。我々は真実のため日本を陥れているあらゆる悪質なウソ八百を打ち砕かなければならない。日本人でありながら日本を壊すことに余念がない悪魔に魅入られた気違い日本人もたくさんいるのだから半島人ならまだ罪は軽かろうというものか。

昨年(平成7年)江藤発言に対する、金泳三大統領の『日本の誤りを正して見せる』と居丈高に述べた傲慢無礼、竹島問題で日の丸を侮り、池田人形を焼き、桟橋など既成事実をつくり又ありもせぬ心卑しき従軍慰安婦問題などなど我国はペコペコばかりし、何もせぬとみれば益々つけ上がり、全くやり切れぬ思いがつのるばかりではないか、未熟な若輩が虚勢を張る姿に見えなくもないが、彼等の先祖伝来の弱気を見くびる事大主義に、何もなし得ぬ腰ぬけ日本の姿をアジアと祖国のため身命をなげうった我国の尊い先祖・父祖兄弟の霊は草葉の陰でどのように嘆いて居られることであろうか。

さて古代より変転定まりなき半島の栄枯、流転、興亡の歴史はともかく、明治時代、激動の東アジアにおける情勢の中での正しき歴史認識こそ、平静を欠く両国関係正常化に最も大切なことであると思う。現在、韓国人の殆どは日本が朝鮮を無理やり植民地にして酷い目にばかり合わせたと思いこまされている。しかし併合は条約によるものであり、武力侵略によるはじめから収奪目的の白人植民地とは全然違う。その反対である。区々たる出来事はあったであろうが、併合後紆余曲折を経てアジア解放の大義の下一致し、半島同胞として戦った頃を想い大局観に立って歴史を見なければならない。この半島の後進性を脱却させるため我々は多額の血税を注ぎ込み、教育、殖産をはじめあらゆる民生向上のためいかに多くの貢献をなしたか、ここでは詳述の暇はないが極めて莫大なものである。植民地の民度低下の為、文盲政策をとるなど、本国を富ますことのみの数百年に及ぶ白人植民地経営とは全く異質のものであったことは諸資料でも明白である。

そして一言にして言えば、内憂外患の明治期に於いて衰弱した半島はもし日本の存在がなければ、ロシアに飲み込まれて居たか或いは依然として中国を宗主国とする属国の域を出ることが出来なかったであろう。身の程を知れと言いたい。

昨年(平成7年)彼等は旧総督府を日本時代怨みの残滓として破壊撤去した。ならば合併以来日本が一視同仁の愛をもって血税を投じたあらゆる学校、鉄道、港湾、道路、工場、治山、治水、耕地整理、そして教育の向上成果に至るまで一切憎しみをもって壊し、百年前の状態から始めてみたらどうだ。恩を忘れる者は禽獣に劣るということは儒教精神の根本であろう。

さて明治25年日清開戦の2年前、今から一世紀以上の昔、朝鮮防穀令事件の際、尾崎幸雄と共に憲政の神様と称され、朝鮮の金玉均、中国の孫文ら憂国の亡命者を保護援助した、有名な後の宰相犬養毅が35歳のとき行った演説を記させて頂く。当時の朝鮮を知る資料として格好であり、真実の歴史のため金泳三大統領もこれを読み、自国の辿った道を知り、自らを正してもらいたい。

犬養毅 明治25年演説

私は朝鮮の話を致すので御座います。朝鮮の今日の有り様、日本との関係、支那との関係、露西亜との関係、此等の大要を述べて、日本が如何に此朝鮮に対するかと云ふ事を申さうと思います。

今日の朝鮮は第一に兵力と云ふものがない。学問がない、勇気がない、愛国心が少しもない、こう云ふ有様です。兵力は朝鮮八道に一つづつの鎮台がある。其鎮台には大抵七八千の兵が属して居りますが此七八千の兵と云ふと大層なものゝ様でありますが、之れは何の役にも立たぬのです。朝鮮の兵は日本の屯田兵の様な者で平素は百姓なり、商売なり、職業に就いて居り、一朝国内に事変があると各所に建てゝある狼煙台にて烽火を挙げる、夫れを見ると皆鋤を棄てゝ出て来ると云ふ有様で訓練した兵ではありません。其兵隊の持つ兵器は火縄銃で極く粗末なものを持って居りまして、其外の武器は弓です。又石を抛げる、之れは能くなげます。先づ之れ位なものであるから、各鎮台は兵力の無いものと見做さなければならぬ、尤も禁衛の兵は見事なる銃器にて即ち『マルチネー』銃です、近年日本に誂えられた村田銃も禁衛兵が持っているのでありますが然し夫れを持っては居ますが、夫れを掃除する事も知らぬ位の兵であります。そんな有様でありますから、大石正巳君が同国公使就官以前朝鮮に行った時著述した小冊子に朝鮮の兵備を論じたる箇條に『日本より朝鮮を攻めに行くには何の軍備も要せず、只目を塞いで行けば事足れり、其譯は朝鮮人唯一の武器たる弓矢は極めて完全の者なるが故に目の中にさへ中らねば怪我をする気遣いない』と書いてありました。私は余程之れは酷評であると云った事がありました。然し大ゲサに云へば先ず斯様の次第であります。

其次には教育が不完全であると云ふ事であります。学問がないと云ふ驚くべき事は朝鮮の書肆に往っても少し善い書物は探してもない。極粗末な書物許りで教育の普及はおろか、第一学問をする道具がないのであります。朝鮮の人は大抵自分の国の歴史を知らぬ。現に私は日本に来ました朝鮮の士人に向て歴史の事を話したが、其人の云ふには朝鮮に歴史はありませぬ。自分は日本に来て東国通鑑を読んで初めて自国の歴史を知ったと申しました。朝鮮ではすべて支那の歴史を読み、所謂中華の貴い事許り知らして置くのであるから国風の卑屈になるのも当然の事である。斯様な訳で其国固有の学問は何んにもない。況や西洋風の学問は勿論ないのです。学問は先づ斯う云ふ有様。其れから愛国心のない事でありますが、朝鮮の第一特色と云ふは私は驚いて居るが愛国心勤皇心と云ふが少しもない。之れが朝鮮の特色である(笑聲起る)。諸君は笑はるゝが実に驚いたものであります。尤も日本国民の如き勤皇心の強いものは外にない。其れは三千年以来一系の天皇を戴いて居る国であるから、本より其筈である。此一点に於ては世界中何れの国でも我国にかなふ国は一もない。就中朝鮮の如きは特別である。尤も朝鮮の愛国心がないと云ふ事は今日に始まった事ではない。秀吉の朝鮮征伐の際、国王が京城を落ちて逃げて行く所の有り様を“懲ひ録”に載せたるを見ますれば、供奉の人々は我先にと途中から逃げて仕舞ひ、或る駅舎にて国王に晩食を上げやうとすると入り乱れたる人民が食うて仕舞ひ、其上に国王の前をも憚らず無礼な振舞を為しても其無礼を制する事も出来ない程の混乱であった。さうすると其群衆の中に平素宮中に奉職したる官人の居るのを見て“懲ひ録”の著者即ち宰相柳西崖は声を激し、貴様は何んである、大王殿下の御危難の場合に何として御供をせぬぞと云うて叱責したるに付て始めて其者がしぶしぶ供をしたと記してある。当時より勤皇の乏しきこと箇様な有様であります。今日はもっとひどくなって居ります。唯一人王家の事を思う者はない。李氏五百年にて滅亡すると云へる預言を信じ、此後にはだれが代るであらうなぞと考へて居て勤王心・愛国心は毛頭ないのです。そんな有様であるから人心を統一する者がない。箇様な国は何れにも先づ稀であります。そこで夫れならば極弱い人間かと云ふと骨格も逞しく、中々腕力があって強い、然るに其れ程力が強くてあり乍ら極めて従順卑屈であります。夫れで叱咤して使へば雇主の云ふ通り少しも抵抗しない、凡そ斯くの如く学問もなければ勇気もなく、愛国心もなく、而して身体が強くて従順である。斯う云ふ国は何が適当かと云ふに属国になるより外に仕方がない(喝采)。実に属国には適当の国である。其訳は凡そ世界各国これ程適当なる属国はありませぬ。露西亜がアフガン侵略を勉めて居りますが、アフガンは野蛮な代りに非常に勇敢な人民で的と戦ふには身命を惜まんので中々服従せしむることが出来ぬ。凡野蛮人の性質として知恵もない代りに死ぬる事を何とも思わぬ。一体属国には斯う云ふ国は厄介であります、其れ故腕力あって、其上極温厚な国程属国に適した国はない。

近来朝鮮が諸国の嘱目する所となり、東洋問題の焦点と成って居るのも此訳である。そこで従順なる属国たるに適したるを将来何の国が取るか、露西亜が取るか、支那が取るか、日本が取るか、或は三国とも之れを中韓に置て之れを独立さすか、之れ尤も攻究すべき問題である。其問題を攻究致しまするに先づ三つの関係を見なければならぬ。

まず支那の朝鮮における関係は何うであるか、此関係は第一番古い関係である。支那は各朝ともに朝鮮を属国にして居りますが、尤も今の清朝の起った時には容易に服従せなかった。其訳は明の援兵を受けた恩義に感じて清朝に抵抗しましたからです。然るに清兵に征服せられて以来は始終清朝の政朔を奉じ、支那に対しては一属国の礼を取って居ります。斯う云ふ関係がある上に支那は、何故朝鮮を尤も枢要の地として守らねばならぬかと云ふに、実は清朝が起った地方吉林・盛京の外辺は朝鮮国にて掩はれているのであります。夫れ故に此本国には多く銀貨を吸収して萬一の用意に備へているのである。是れが清廷の一番大切な場所であるから仮令漢土の方は失っても盛京・吉林の地方は何うしても守らなければならぬ、と云ふ考えを以て居る。然るに此吉林盛京への外国兵侵入の通路には朝鮮が大関係をもって居る。朝鮮は清朝の本国へ通ずる最も便利なる通路であるから若し朝鮮が外の国に取られると、支那は第一の根拠とする地方へ侵入さるゝ患があるから支那は全力を尽くして朝鮮を守らなければならぬ。是が清国の関係の大略である。

次に露西亜は御承知の通り浦塩斯徳を以て東方の門口として居りますが之れは一年の中四五ヶ月間氷結する港であるから何うも致し方がない。近頃東方論を唱へる人々が頻りに心痛し浦塩斯徳へ鉄道が通じた日には日本は叶わぬ様に云うて居るが、此鉄道を利用するは中々先の話で長い事である。之れから露西亜が力を伸べやうと云ふには浦塩斯徳では役に立たぬ。更に進で元山を占めなければ露西亜は威を振ふ事が充分に出来ない。夫れ故何うしても朝鮮を取るが必要である。朝鮮さへ取れば支那・印度・南洋諸島何にても力を伸ぶることが出来るのである、是れ露国の関係であります。

そこで日本は何うであるか日本は今も人口は多いが後来益々増殖するは勿論なれども、之を容る丈けの土地は北海道もあり、又周囲に島々もあるから必ずしも外の国を侵略する必要はない、然れども私の考えでは凡そ文明の国が野蛮未開国の人民を助けてやる事は天から申付けられた職分である。日本は東洋の文明国として今日彼れが如き野蛮国が他の乱暴なる国に征伏せられんとするを傍観するは天命の職分を尽くさぬのである。日本は之れを救ふ可き天命を有する国である、日本は是非とも之れを救はなければならぬ(満場大喝采)。私は決して蚕食すると云ふのではない。朝鮮をして我邦の文明的指導を受けしめて、共に日本海の要害を扼さなければならぬと云ふのである。若し箇様になれば支那は勿論のこと、世界の強敵と云はるゝ露西亜の如きは少しも畏るゝ事はありませぬ、併しながら若し露国に朝鮮を取られてはそれこそ我邦の存亡に関する一大事である、故に露西亜に取らする事は出来ない、何処までも日本の利害から云へば朝鮮を日本の始動に由らしめて其儘之を保つか、或はすっかり彼より日本に帰こうし来るの日あるか此二つ何れかでなければならぬ。是れが三国関係の大要である。

そこでこんな国でありますから将来如何するか私は決して朝鮮を取らうと云ふ事は云はぬ、何故なればここに一の困難がある。其困難と云ふは支那と戦争するを畏るゝのではない、又露西亜を畏るゝのでもない、支那も露西亜も我邦の相手としては少しも恐るゝ事はない。併しながら若し朝鮮を取った時には非常な金を要する、其訳を申しますると、豆満江の地方即ち慶興に於て充分防備を堅固にしなければならぬ、元山・釜山・仁川等の諸港には相当の軍艦を回はし置かねばならぬ、少くとも朝鮮に一の鎮守府を設けねばならぬ。併しこれは余り難しくないとした所で、一番困ると云ふは陸上の兵備である、露国の境界なる豆満江及び清国の境界なる鴨緑江に於て数か所に堅牢なる城壁・砲台を築いて充分なる戊兵を置かなければならぬ、少なくとも八道に夫々二ヶ所の鎮台を置かねばならぬ。是等の兵備は朝鮮の土地から挙がる収入を以て弁じ得るや否やと云ふのが問題である。私は段々調査しましたが一切分らぬ、朝鮮にては各省銘々に種々の賦税を取り立てるから総體は何程収まるものか分らぬ、我邦の如く大蔵省へ悉く集まるのではない、併し彼れが如き貧国では収入の沢山ある道理がない、故に何んな事をしても日本で毎年少なくとも一千万円以上つぎたさなければならぬ、即ち夫れ丈けの金を出し得るの用意をしておかなければならぬ、実に困難である。そこで此の如き面倒を見ずとも外の方法を以て日本と共に利害を同じうせしむることは出来得るの筈である、必ずしも取るに及ばぬ。併し乍ら今此の名誉ある隣国に対し之を取るとか取らぬとか云ふは甚だ穏当ならぬ言葉であるから私は決して取るなぞと云ふのではない、向ふから頼んで来たら引受けると云ふのである(拍手大喝采)。

此頃朝鮮で問題が起って居りますが何時でも世間では露西亜を非常に畏れますが私は一向分らぬ事と思う、今朝鮮の事件は丁度幸いに今日の電報を見ると片付いたと云ふ事であるが、未だ何とも分からぬ、若し片付かないで公使がいよいよ引いて帰るとなると勢い宣戦にでもなるか、或は単に或る土地を占領して之を強制するかいずれにしても一つの事変となるでありませう。然るに世人は露西亜が之に向て何うするかと言って露西亜を大層こはがる様でありますが今日本が朝鮮に対するに決して他の国を眼中に置かずとも何事でも出来るのである。元来露西亜が若しも或る事件に手日本と争を為すとせんか夫れには先ず何程の兵力があるかを見ねばならぬ、浦塩斯徳に在る小艦隊は『ウラジオ』艦隊でガンボート以下迄合して一万九千トン計りしかない。其の中よく長崎に停泊する艦隊の如きは相当のものであるが、其の余りは不十分の船であるから、日本に対して戦争などをとは思ひも寄らぬ事である。然らば本国より回航するかと云ふに、御承知の通り黒海に浮べる艦隊は条約上一歩も外海に出ることを許さず、又バルチック艦隊を回航するには遠路迂回の困難あるのみならず欧州今日の形成では決してバルチック海を空虚にして遠く我邦に来ることは無し能はぬことである、然らば西比利亜の鉄道は如何にと云ふに此れも畏るゝことはない、三千五百マイルもある長途に大兵を送るには、其途中所々に営所が沢山出来上り軍器・軍糧等一切出師の順序整はねば容易に来ること叶はぬ、且つ鉄道全通は今より八年先き即ち明治三十二年に成功すると云ふが此成功もあてにならぬ、先ず八年さきに成功した所で夫から各所営所及準備の為めすっかり整頓するまでには少くも之れから十二三年は大丈夫掛る。そこで露西亜は当分眼中に置くに及ばぬ。

然らば支那の軍艦は如何と云ふに之も不完全の艦まで合せて六万七八千噸しかない、日本には役に立つ適当な船で彼是六万噸は御座いませう、そこで支那と比較して日本軍艦の勢力は劣っては居ない、況んや支那の軍艦に乗って居る人物は多く西洋人である、又艦長は支那の金持なぞが賄賂を使って士官になり専門の教育も何も無くして居る、然して其以下の士官にも艦長の家族が登用せられて乗り込んで居るのもある、甚だしきは飯を食う時に肌抜きで甲板で飯を食う(拍手喝采)。左様な甚だしき有様である、一昨年定遠と云ふ七千四百噸の甲鉄艦が日本に来た事がある。其時に大きな軍艦が来たとて非常に驚いた人がある、それは其筈である、船は川舟に乗った事があるのみで大砲の音を聞いて震へる様な人で其人が七八千噸の船を見れば驚くはずだがそんなに驚く可き船ではない、速力が十四ノットであるから、如何に十七インチ甲鉄艦であるとも日本の浪速・高千穂・松島・厳島の如き十八ノット以上の快速なる巡洋艦に追いまくらるれば必ず港湾に逃げ込んで封鎖せらるゝであらう、夫れ故に船は大きくても左程驚くには及ばぬ、尤も速力は少くとも船體は戦闘艦の事であるから堅固には相違ないが、併し乍ら軍人の説を聞いてみると定遠・鎮遠には著しき欠点があるさうです、大砲の位置に付て大欠点があるとの事である、箇様の船はいくつあらうとも一向畏るゝことはない。実は支那で定遠・鎮遠の様な七八千噸の軍艦又はもっと大きな一万噸でも一万四千噸位のものでも沢山こしらえて呉れることを内々希望するのである。如何となれば一旦戦争に至れば一戦にして夫れをすっかり捕獲して来る積りである、我国では一二艘の船を作るにも中々面倒であるから、支那で大きな軍艦を拵へさせ、さうしてすっかり夫れを取って来れば、第一議会の衝突もない。前に述べた様な有様であるからきっと取る事は出来る。そこでついで乍ら、軍艦の話をして置きますが、此度我国にて一万千四百噸の甲鉄艦を作ることになりましたが、実際の利害は如何であるか、今或る国と戦争をするには如何なる艦種が適するやと云ふことは専門家の重要なる問題であらうと思ふ。若し遠浅の海岸が多ければ大きな船は役に立たぬ。まして我邦の如き延長の海岸を許す国には大艦一艘よりも中艦二艘の方が便利ではないかと思はる、まして万一支那と戦争することがあれば決して洋上に於て艦隊の大戦を開くことはない、決して向ふから繰り出して来る様な勇気のある国ではない、支那は仏国と戦ふにも然うであった如く、決して出て来る気遣はない、あの豚尾は必ずすくまり込んで居る、勇気があれば宜いが、少しも出て来ない、故に支那と戦争する事があれば、只其の海岸に乗り込み其艦隊を追まくって港内に封鎖する位のものである。

さて露西亜も支那も箇様な有様であるからもし此度の事件で不幸にして朝鮮と平和が敗れたらば朝鮮へ手を出すには今日は極く善い機会である、其れは外に之に向かって手を出す国がない、皆内事に困って居る、仏国はシャムの事件があり、英吉利はグラッドストンが自治案で騒いで居る、独逸では国会解散になり、即ち品川弥次郎さんの様な人が干渉でもやらなければならぬ次第、此の如く何れの国も手を付ける事が出来ない、即ち日本が独り舞台で出来る、併しながら実際此の平和になったと云ふ電信が果して真ならば兎に角結構であります、凡そ戦をするには充分の名義がなければならぬ、名義とは何んな者かと云ふに、先年花房公使の如く日本の公使館に乱入したのは立派な名義である、又竹添公使の時も立派な名義があった、併しながら今度の事は戦いに訴へると云ふ名義が極めて完全なるや否やは一の問題であるとは云ふものの此頃世間で殊に或る新聞記者の如く公使の挙動に対して非難の口気あるは却って世人及記者の方が無理と私は信じます。如何となれば此防穀事件の談判は既に前々より行掛になりて何処までもやるより外は仕方がない、充分談判して結末をつけるの外仕方がない、こんにちは区々の理屈を云ふ時ではない、箇様の事は兵家の最も忌む所であります、維新前まで盛んに行はれたる甲州流の軍法のさいはいと云ふ事がある、即敵国の強い事善い事は一切少しも聞かせない、自国の方の宜しい事計り聞かして置き決して自国の方の欠点弱点を云はぬのである。然るに今朝鮮と事が始まるや否やと云ふ場合に臨んで我の弱点を数へて蝶々するが如きは実に愚の極である。夫れ故に今度の事柄を以て或は正当であったとか不正当であったとか云ふ事は他日の論に譲って私は畢竟強く出た以上は、どこまでも強く出る外はないと思ひます(満場大喝采)。併しながら是は目下の事に付て申すのである、後来我国は彼国に向って十分の関係を保たねばならぬ国柄でありますから徒に弱いものいじめを為して彼れが感情を損ねることは全く宜しくない、一体当局者のみではない、日本の居留人が非常に朝鮮人の感情を悪くした様に思はれる、私が十七年の事変の時丁度彼地に行った時に旧大闕を見様と思って行った所が其門の戸が閉ざしてあるから番兵に手真似で開扉を求めました所が一向に空けて呉れぬ、そこで同行の一人と共に刀杖を抜いて壁を切りかけた所が番兵はそうっと扉を開けて呉れた、此の如く実に番兵さへも其様な有様である、箇様な弱い国に向うて強行で嚇す必要はない、夫れより情誼を以て之をなづけて日本の親愛なる子弟となる様にしなければならぬ。(大喝采)

◆余談―この演説の三年後我国は日清戦争に勝利したが、朝鮮は三国干渉に屈した日本を侮りロシアに靡いた。よわきを見くびり強気に媚びることはこの国の定まらぬ興亡の歴史に培われた性格といえよう。今の日本は何も出来ぬと見て侮られて居る。誇りと自信を持ち、大局観に立って真実の歴史を知らしめることが第一であり、区々たる些事にペコペコばかりすることは絶対にやめなければならない。弱腰に対し増長するばかりの低級な相手に謙譲の美徳など通じるはずがないのだ。

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