聖戦大碑を何故建てるか
(平成12年)

日本をまもる会会長、大東亜青年塾塾長
中田 清康

二年有半に亘る聖戦大碑建立事業もいよいよ大詰めを迎へ、三月二一日には地鎮祭を斉行し現状は盤石の基礎工事も終了した。

このあとは市中風致地区の公園(※建立地は石川護国神社であるが、この地は兼六公園に接続する本多の森と呼ばれる)内に許される最大限に高く、壮大堅牢な石積と碑銘、刻名並外溝等が整備されれば愈々八月四日の建立式典を待つばかりとなった。これまで御協力を頂き、全国津々浦々から赤誠を賜った方々に対しまずこの大碑建立の過程においてはいろいろなことがあった。その概略を述べる。

@ 何故今更大碑を立てねばならぬのか、我々は既に亡き戦友の鎮魂のため慰霊碑を建てたので必要はない。これについては後述する。

A 最も残念なことは、地元戦友諸団体等の一部にある妨害工作。協力どころか高さが高すぎる、聖の字は要らない、そして護国神社へこんな所へ建てさせてくれるなとの申し入れ、又複数団体幹部は応募せぬ様明らかに妨害工作を行っている等々・・・

余談だが天罰といへようか、そのうち二団体の責任者が相次いで物故されおかげで事態が好転したのは誠に不思議である。

いづれ大碑完成のとき刻名戦友団体名の中に、祖国の危機に青春を賭した自分の戦友会名が見えず淋しい思いをされる構成員には気の毒である。その他県内外から朝日新聞を見たが侵略して他国を苦しめたくせにけしからんそんなものを建てることは即刻止めろ、金があるなら迷惑をかけた国に送れというものから、爆破するぞという類まであった。そしてこれくらいよい頭脳をして居る人が誤った教育、報道でかくまで間違った認識になるものかと思うものまで含め電話、手紙、ハガキを送ってくれる人まで、いづれも反日、非日の戦後洗脳済みの人達によって尚更この聖戦大碑建立の大切さが身に沁み祖国再生の祈りが増幅したのである。一々回答する愚を避けたが、ここでこの方々に回答申し上げるならば、貴方がたの様な間違った考えがあるからこそ、この大碑が重要なのであると申し上げたい。

さて冒頭@についてのべさせて頂き大碑を何故建てるのかの結論としたい。日本の現状、この人倫、道義地に堕ちた亡国状態を英霊と祖先はどれほど嘆き悲しまれておられることであらうか。如何に立派な慰霊、鎮魂の碑を建て、どれだけおまいりをしても日本が軍国主義で悪い侵略戦争をし、アジアの国々を苦しめたという様な全く違ふことを言はれ、中・朝などにペコペコ謝罪ばかりして居る状態で今は亡き方々がどうして真に鎮まることが出来ようか、この状態ではこれまで建てられたすべての碑も行事も空しい事なのである。即ち間違った東京裁判によって大東亜戦争を悪とされたことが、祖国の精神を破滅に陥れた現状悪の根源であり、ここに大東亜聖戦大碑を建てる意義がある。ありもせぬ南京大虐殺、従軍慰安婦、三光作戦など教科書にまで載せ、純粋に祖国と東洋平和のためを信じ戦った戦友を足蹴にし日本を悪にするため枝葉末節の諸悪を白髪三千丈に誇張してあげつらい、真実に対して尤もらしい戦争美化の幕をはって、大局から目をそらさせんとする愚劣な動きに多数国民が盲にさせられ瞞されてしまって居る。戦後謀略にやられ祖国誹謗を延々と続けるNHK、朝日、毎日はじめその他大小マスコミや戦争を知りもせぬ世代の時流迎合のマインドコントロールされた口舌の徒によって、日本には真の意味で軍国主義などなかったにも拘らず如何にも戦前派軍部横暴の暗黒時代で、善良な国民は無謀な戦争に駆り出されたなどとされその様に思はされている。大碑に応募された大多数の方々は駆り出された奴隷ではなく、真実は祖国の危機を救はんと誇りをもって兵役に服した方々である。幸い生還し、亡き戦友の死を正義日本のため命を捧げた名誉ある戦死であることを知らしめることが英霊に対する何よりのはなむけであることを信じ応募せられたのである。又建立に応募参加された戦争を知らぬ多くの若い方々もこのことに深く感ぜられたのである。台湾も朝鮮も満洲も領土膨張、搾取目的の軍国主義的侵略で苦しめたと思いこまされている人が多いが全く違ふ。特に柳条湖事件をもって相当良識の方まで満洲侵略の動かし難い証拠とする人が多いが、当時の満洲がコミンテルン赤色革命輸出のターゲットにされた状態と、強欲アメリカの支那大陸野望の交錯した謀略の渦巻く中で、在満日本人の生命財産が脅かされ、日露戦争以来の権益を甚だしく蹂躙させた事変前史を知るならその様なことを言へるはずがないのである。私の父は当時、昭和のはじめから関東軍軍属であったが、父から当時の前史を折に触れ聞き、又私も在満経験者として確信をもって言へることがある。今から約60年前の昭和16年秋、満語の上手な友人と松花江の豊満ダム建設工事現場見学の際、吉林市郊外の満洲族旗人の家へ立ち寄ったが壁に乃木大将の写真が掲げられてあり、私たちに日本軍は私共を救ってくれた神兵だと賞賛した大人(タイジン)の姿を今も忘れられない。彼が「ターピーズ、テンハオ、メイヨ」「リーベン、ターダ、テンハオ」(ロシア人は悪い奴だ、日本人は大変良い)と大きな声でくり返していた姿を今も思ひ出す。

祖国は軍国主義では絶対になかった。自存自衛と眠れる有色人種のため戦ったのである。当時が戦時体制であったのは当然ではないか。侵略とは大航海時代と謂はれる頃から大東亜戦争当時までも及んでいた白人列強の強奪や、ロシア、中共の未だになして居ることを言うべきであり我国は自存自衛と東洋平和のため白人侵略を追い出し有色人種を救った救世主であり、又満洲を含め台湾も朝鮮もその民生・民度を向上させた大恩人である。大東亜聖戦大碑はこの功績の顕彰も合せ日本の正義、人道精神の真実を世界に宣言し民族の誇りと誉れを万世に伝へ世界恒久平和のため存在する八紘為宇の使命を高揚し、以て英霊・祖先に報ゆる真の鎮魂こそ建立の目的である。

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