祖父の魂に寄せて
(平成19年)

小野 陽

私事ですが、つい先日、祖父が94歳で他界しました。天寿を全うしたといえますが、大正、昭和、平成と激動の時代を生き抜いた人でした。
満洲に渡って会社を興し、やがて大東亜戦争勃発、満洲で兵役に就き、終戦を迎えました。あやうくシベリア送りになりかけ、妻子も殺されるか残留孤児かという瀬戸際で命からがら帰国し、焼け野原の本土で裸一貫やり直したそうです。
そんな祖父の眼には、高度経済成長からバブル経済を経た現在の日本は、どのように映っていたのでしょうか。

映画「硫黄島からの手紙」の栗原忠道司令官の故郷、信州松代で遺族の講演を聞きました。栗林中将の幼少の日記を紹介されましたが、12歳とは思えぬ、いまなら高校生くらいの立派な文章でした。やはり日本人は年々退化しているのかもしれません。日記の日露戦争から復員した親戚を出迎えるくだりなどでは、国家と戦争と天皇陛下を身近な当たり前の存在として捉えている姿が感じられます。そこには昨今の左翼マスコミが作り上げた「国民を弾圧する国家権力」などという対立構造は全く感じられません。国家あっての国民、国民なっての国家です。むしろ平成の今こそ、国家が国民を搾取しているのではないでしょうか。戦前より戦後の方が悪くなっていると考えたことはあるでしょうか。

私達は、祖父の世代は国家に徴兵され、戦争に生かされ酷い目にあわされた・・・という認識を摺り込まれています。しかし、祖父母たちから聞く生の声は、学校やテレビで教える話とはかなり違います。例えば次のような事実を最近まで知りませんでした。

・ 家督を継ぐ長男は、徴兵を免除されていた。
・ 士官学校には長男は入学できなかった。
・ 田舎ではそんなに食料に困ってはいなかった。

むろん、南太平洋の悲惨な戦場や、大本営の無謀な作戦はよく知っていますが、国家はちゃんと各家の後継ぎへの配慮もしていたということですね。
映画「男たちの大和」「出口のない海」「俺は君の為にこそ死にに行く」を見ると、学校やテレビとは違う「戦争」が見えてきます。どれも特攻で死んでいった若者を描いた映画です。他にも数百冊に及ぶ戦前、戦中、戦後の歴史資料を読み漁りましたが、学校やテレビで教えていることはデタラメもいいところです。マルクス主義(共産主義)の匂いがぷんぷんします。

ある老婦人は、「日本人は戦後に人種が違うかと思うほど変わってしまいました」と呟いておられました。かつて夢みた「飢えない社会」が実現された今、私達は次なる目標を見失っています。
「衣食足りて礼節を知る」はずが、逆に「飽食に溺れて魂を失って」います。
生活に余裕のできた今こそ、「世の中、カネだ」という浅ましい思想を捨てて、「カネでは買えないもの」を思い出すべきです。
日本社会は家が集まって村となり、村が集まって国となる、そういう社会でした。いま村も家も無くなりつつあり、夫婦すら他人の様になって来た社会で、カネだけあっても幸せに離れないでしょう。夫婦のきずな、家族の絆、地域の絆、それが幸せの根元です。かつて「貧しくとも高貴な民族」と言われた日本人は、いま「豊だが卑賤な民族」となり果てています。
思いだしましょう。
日本人の伝統精神、武士道、大和魂と呼ばれた美しい高貴な心を・・・

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