靖國神社を参拝して
(平成17年)

小野 陽

先日、靖國神社を参拝しましたが、ちょうど「みたままつり」の準備で賑わっていました。遊就館が新しくなっており10年前に観た時とは格段の違いがありました。零戦や回天、櫻花、速射砲などが復元・展示されており、機体に撃たれた弾痕が搭乗員の最後を静かに物語っています。また一般に靖國神社は大東亜戦争(太平洋戦争)の戦没者を祭るために建立された、と誤解されていますが、明治の戊辰戦争から日清・日露まで祖国の為に戦って散った英霊を祭っていることが良く判ります。
なかでも戦争映画『わたしたちは忘れない』(約50分)の上映は感動しました。明治から戦後までの列強の圧迫と日本の苦悩の歩みが判りやすく解説されていました。これらの歴史を何故学校で教えてくれないのか、と思います。一緒に観た友人も「初めて知った…」と涙ぐんでいました。全国の小中学校でこの映画を上映するだけでも、きっと日本の将来を担う子供達に民族の誇りを伝えることができるでしょう。
昨年、沖縄へ行った時も「旧海軍司令壕跡」を見ましたが、普通の若者ならばマリンスポーツに興じるだけでしょう。どうして私たちはこんなにも無関心なのでしょうか…。
私たちは学校やマスコミから「日本は侵略戦争をした 旧日本軍は悪いことをした」とだけ教わってきました。「大東亜戦争」なんて単語を使う人間は軍国主義者だと刷り込まれました。やがて戦前世代をどこかで軽蔑し、自分は戦後世代であるが故に「善人」である、と思い込む日本人が出来上がります。
しかし! 高度成長で日本を復興させたのはほかならぬ戦前世代ではありませんか。逆に戦後世代は何をしたのか?バブルに興じて「失われた10年」を招いただけではありませんか。私たちはもっと謙虚な気持ちで戦前を見つめなければなりません。小学校で教育勅語を教わり、成人して徴兵制のもと軍人勅諭を教えられた戦前世代は、すべからく「武士道」に近い者を習得していたのだと私は考えます。そこが「個人主義」で育てられた「自分さえよければそれでいい」と教えられた私達との違いです。
国家は人なり。企業は人なり。人が腐れば国も廃れます。企業も倒産します。昨今の政治の乱れや企業の不祥事がそれを証明しています。まして日本は天然資源の無い国です。故に人材こそ最大の資源であり、「教育は国家百年の大計」と呼ばれたのではありませんか。いま私たちの急務は「景気回復」ではなく「教育改革」です。人材なくして景気も回復しません。「修身(道徳)」の授業の復活、師範学校のように人格を」重んじる教育学部、若手教師の民間企業における下積み研修、社会人校長による教師の意識改革、等々の施策が推進されることを願ってやみません。(生徒の前に教師の教育が肝心です)
ただひとつ嬉しいのは、靖國神社(遊就館)に多くの若者が訪れていたことです。まだまだ日本人も捨てたものではありません。かつて世界中から尊敬された日本人の美徳を私たちも取り戻そうではありませんか。

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