大東亜聖戦大碑建立の意義
大村 万集
アジアの同胞よ
思い出したまえ 白人支配の悪夢終焉が我等の大いなる夢であったことを
記憶したまえ 何ゆえこの戦いが「大東亜聖戦」と名づけられたかを
聞きたまえ 我等目指すところ義の復活にあり、武の復活にあらざることを
知りたまえ 今も昔も大東亜の団結、彼らの脅威でありしことを
理解したまえ 「大東亜聖戦」否定するは暗黒世界の再来許すことを
そして
集いたまえ この碑の下に
大東亜の未来切り開く戦い未だ道半ばにありて
我等の一致大同さらに必要なることを忘れんがために
本大碑建立の趣旨は15世紀頃の経緯より説明せねばならない。この頃、いわゆる大航海時代を皮切りにアジア、アフリカ地域は、白色人種の侵略行為に次々と屈服させられた。白色人種の非道かつ狡猾な統治政策により、征服された人々は地獄のような日々を過ごしながらも反撃さえ想像出来ぬままに永遠の時を過ごそうとしていた。
わが日本国も19世紀半ばにアジアの他国同様植民地化の危機を迎えた。この脅威の前に、我が国は富国強兵を合言葉に、日清、日露、第一次世界大戦を経て一等国の仲間入りを果たすことで独立を保った。その道は決して平坦なものではなかったし、我が国が望んで始まったものでもなかった。しかし、帝国主義全盛の時代、我が国の躍進はアジアを狙う西欧列強との対立を次第に深めた。
1939年、第二次世界大戦が勃発。米国政府は英国との密約により参戦を決意したものの、国民の参戦反対により日独伊三国同盟に乗じた裏口参戦を目論んだ。そこで、米国政府は英蘭中各国と共謀し、日本を経済面で極限まで追い詰めた。わが国は最後まで和平への努力を続けたが、その誠意は無視され、結果アジア大陸南進、対米開戦の止む無きに至った。
1941年12月8日、真珠湾攻撃に始まる大東亜戦争は日本軍の連戦連勝で始まった。僅かな期間で大東亜一帯から白人宗主国は叩き出され、開放された諸国は喜びに沸き立った。しかし、ミッドウェイ海戦の敗北より戦局は一転、我が国は以後敗戦に次ぐ敗戦を重ねた。建国以来最大の総力戦は軍民合わせて300万人の死者を出す壮絶なものとなり、1945年8月15日、昭和天皇の御聖断により終戦を迎えるに至った。
今日、我が国にとってこの戦争は無駄だったとする意見が大勢を占めるが、それは誤りである。何故なら本大戦の大きな目的の一つは「大東亜解放」であり、戦争前後の地図が示す如くアジア諸国は悲願の独立を達成し目的が達成された事は誰の目にも明らかであるからだ。さらにその後の世界を俯瞰すれば、聖戦後も大東亜開放の衝撃は留まることなく、遠くアフリカの国々の独立にまで影響したこともまた明白である。我が国は確かに大きな傷を負った。しかし、成し遂げた偉業もまた果てしなく大きい事を我々は知らねばならない。
あの時、アジア開放の扉を開ける力を持っていたのは日本だけだった。天はそれ故、日本にこの困難な、しかし栄誉ある大業遂行を命じられた。多大な犠牲に我々は哀悼の意を表するが、先人が怯むことなく天命に応えたことに大いなる敬意を表したい。それ故我々はあの戦いを「大東亜聖戦」と呼ぶのである。
しかし未だ西欧諸国はこれまでの自らが犯した大罪を反省していないばかりか、戦勝国の立場を良いことに歴史を改竄し、日本に侵略者の汚名を被せている。それは彼らの自らへの非難を避けると同時に、甘い汁を吸い続けた時代に時計の針を戻すことを諦めていない証左である。
アジアの同胞よ、騙されてはいけない。闇夜に乗じて我々を同士討ちさせようとする彼らの策謀は今なお続く。そして、大東亜聖戦大碑こそは、彼らの薄汚い策謀を陽の下にさらし、我らを救う太陽の如き存在であることを知って欲しい。
「大東亜聖戦」の偉業を今後の世界平和に発展させ「八紘為宇」に結びつける責務は後に続く我々に引き継がれている。それは全アジア人の責務でもある。先人の尊い努力と犠牲を無駄にしないために、我々はあの戦争の意義を自覚し称え続けていかなければならない。その事を忘れないために、この大碑は真実を知る人々の真心により建てられたのである。