ウクライナ問題 − アメリカは自身が非難されることを恐れている

(令和4年)

大村万集

ロシアのウクライナへの軍事侵攻が始まって世界中がロシアを非難している。国内、国外とも極めてヒステリックにロシア100%悪と断じる意見が大部分である。しかし、ここまでプーチンが一方的に悪者になっていることは異常としか言いようが無い。
この国際世論の形成はアメリカの情報戦の結果だ。しかし、実のところアメリカは事実を冷静に見て真実に近づく人が増える事、その結果、国際世論がひっくり返り自らが非難されることを恐れている。

ロシアのウクライナ侵攻の狙いはいくつかあるが、最大の目的はウクライナのNATO加入の阻止だ。
実際問題として、NATOの東方拡大を制限する条約は存在しない。ロシアを批判する人々はこの事を根拠に「ウクライナがNATOに参加しようがしまいが、彼らの勝手ではないか。そこに介入するロシアが悪い」と主張する。

1989年のベルリンの壁崩壊の際に米国が当時のソ連の指導者ゴルバチョフにNATOが東欧へ拡大しないことを約束したという説があり、その真偽について論争が続いている。後に当のゴルバチョフはこの「約束」の存在を否定しているがなお真相は定かではない。しかし、それは大した問題ではない。多くの人が見落としているが、重要なのは約束の有無ではない。当時の人々がNATOの東進を「どのように認識していたか?」こそが重要なのだ。

つまり、西側陣営がNATO拡大を今後の火種となることを認識していたとしたら、その後のNATO拡大で今回の事態が起きた事実を鑑みれば、ロシアだけが悪いと言えなくなる。むしろNATOサイドに非がある。真っすぐ車を走らせると事故を起こすことが分かっていたのにブレーキも踏まずハンドルも切らなかったようなものだ。これでぶつかった相手に「お前が100%悪い」と言えるのだろうか?

1989年、ベルリンの壁が崩壊した際に、米国の当時の国務長官ベイカーは、東西統一ドイツのNATO残留の可能性について西ドイツ首脳と語る中で「NATOを東に1インチたりとも拡大しないことが重要だ」と発言している。西ドイツのコール(当時)首相と外務大臣もまた同じ意見を述べている。つまり、NATOの主催者たる米国首脳と当時のNATOの最東端にいた西ドイツ首脳がNATOの東方拡大は今後に問題を起こすものとして認識していた。彼らのこの発言の意図は明らかで、それは西側陣営とソ連の後継国たるロシアとの激突である。

冷戦時代、米国の対ソ封じ込め戦略を発案したジョージ・ケナンさえもソ連崩壊時に「NATOの東欧拡大はロシアとの衝突を招く」と警告していた。事態はこれら西側陣営の中枢にあった人々の懸念する通りの展開となった。

冷戦終了時、アメリカも当初はNATO拡大に慎重で、ブッシュ(父)政権の時は東欧諸国の参加希望に対しても「準会員」までは許可したが正式加盟は認めなかった。しかし、クリントン政権の時にアメリカは大きく方針転換をし、1999年にチェコ、ポーランド、ハンガリーのNATO参加が承認され、NATOの東方への拡大が始まった。

プーチンは2007年のミュンヘン安全保障会議で「NATOの拡大がお互いの信頼を貶める重大な挑発であることは間違いない。そこで訊こう。NATO拡大はいったい誰に対抗するためのものなのか?」と不満を述べた。

続く2008年、ブカレストNATOサミットでもプーチンは「もはやソ連も東側諸国もワルシャワ条約機構も存在しない。だとすれば、NATOは誰に対抗するためにあるのか? さきほど聞いた話によれば、NATOの拡大の目的はロシアに対抗することではないという。かつてビスマルクは言った。重要なのは意図があるかどうかではなく、能力があるかどうかだ、と……われわれは東欧に配置していた部隊を撤退させたし、ロシアのヨーロッパ部分にあった大型の重兵器のほとんどを撤去した。それから、どうなった? われわれが今いるルーマニアの(米軍)基地、ブルガリアの(米軍)基地、ポーランドとチェコ共和国へのアメリカのミサイル防衛システムの設置。西側の軍のインフラがすべてわれわれの国境近くへと移動しているのだ」と発言している。

これを聞けばロシアがどれだけ妥協して、そして西側に裏切られ続けてきたかが良く分かる。

今、世論はプーチンが野心を表した。あるいは気が触れたと報道しているが、ここまでの経過をきちんと理解すれば、プーチンは野心を表した訳でも、狂った訳でもなく、昔から主張していた自衛権に基づく一貫した当然の主張をしていることが分かる。

かつて日本はロシアの朝鮮半島支配を許すことが自国の安全保障の致命傷となると考え日清、日露両戦争を戦った。
また、アメリカもキューバ・ミサイル危機の際はソ連と全面戦争直前の状態を迎えた。
日本もアメリカも今のロシアが感じた脅威を過去に感じたことがあり、そしてその時、今回のロシアと同様な反応をしている。

地政学を念頭におけばロシアの今回の行動は予想可能な動きである。そして、中枢に近い複数の人はこれを実際に予想していた。

見方を変えると、今回の事態を引き起こしている最大の原因がアメリカであり、さらに今回の事態を予想しながら、そして回避する十分な時間があったのに彼らが何もしてこなかったことが分かる。アメリカの責任は極めて大きい。

アメリカは国際世論がその「真実」に向かうことを恐れている。

例えば、イラク戦争も大量破壊兵器が存在しなかったのに、アメリカはイラクの無辜の民を多数殺戮し、国土を無茶苦茶に破壊しまくった。さらにその国家元首を冤罪で処刑までしてしまったのである。それなのに、アメリカは未だ裁かれていない。

私達の関係で言えばアメリカは国際法を無視した東京裁判を行ったことも未だ裁かれていない。
それは落ち目とはいえまだアメリカが力を持っているからだ。しかし、今後アメリカの国力の低下とともに、この問題に裁きをつけるべきだという声は必ず上がってくる。当のアメリカは今回のウクライナ問題を含めその事を恐れている。

NATOはそもそも旧ソ連の脅威に対して地政学的に近い西欧諸国が独力で対抗しえないため、旧ソに抗しうる米国の軍事力を効率的に欧州戦線に引き入れるために生み出されたシステムである。であれば、ソ連崩壊とともにNATOは敵を失った訳で、解散してもおかしくない。いやむしろ解散すべきであった。それは、加盟国に対する軍事攻撃が同盟国への攻撃と同等に扱うというNATOのシステムが紛争に無関係の国を戦争に引きずり込むものであり、容易に世界大戦を起こしかねない構造になっているためだ。ソ連という脅威があった時代にはその存在は抑止力としての存在意義があったが、そのソ連が無くなってしまえば、今度はシステムのデメリットが極めて大きく強調されることになる。ましてそれを拡大するとは、プーチンの言うとおり何を目的としているのか? 西側諸国にはこれを説明する義務がある。

国際秩序を乱すロシアは無条件で直ちにウクライナから立ち去れ、という今の国際世論における「正論」を主張する人はすればいい。しかし、ここで述べた背景を知れば、そのような正論だけを説いているだけではこの戦いが決して終わらない事が分かる。ロシアは不退転の決意で今回の戦いを仕掛けており、歴史を見ても、西側がロシアの言い分を認めなければ事態が終息しえない事は明白だ。核の使用までいきつく可能性もある。
そして、この戦争の長期化は間違いなく経済を筆頭とした国際情勢に悪影響を及ぼす。日本もそれを免れる事は出来ない。「正論」を主張する者はその傷を負う事を覚悟して言い続けよと言いたい。

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