間違った歴史観にどう対処していくか
(平成17年)
関口 貴博
大東亜聖戦祭に青年塾生として参加させて頂きましたが、年々一般の方々が多く参加なさっているように感じ、「聖戦大碑」の行末を少し安堵しながらみていました。
しかし、その一方で「かつての日本の戦争は全て侵略、一部の利もない愚かな行為」という感覚もまた、徹底して残っています。私は、この様な意見、主張があっても一向に構わないと思う。国民全員が大東亜戦争を『聖戦』と思わなければならぬ、というのでは、日教組・マスコミの流れをやるだけに終り、進歩はありません。
ただ、私が大問題と感じるのは、「日本は侵略国、全て悪い」という意識が国民の常識の域にまで達し、反対意見は封殺せねばならぬという様を呈しているからです。私の祖父は中田塾長よりも多少年齢は下ですが、「大東亜戦争でアジアは独立した」と常々語っています。その祖父は「でも今の時代によく聖戦大碑を建てられたもんだ。オレの世代でも皆そう思ってても口に出せない状態だからな。石川県人は大したもんだ。」と言っていたのが象徴的です。なにしろ今の世代は知識や体験でなく、感覚として「日本の戦争は悪い」としているので、話し合いはなかなか成立しません。私の友人でも「日本は本当に侵略ばかりして馬鹿だ」と言うので、私が「じゃあ具体的にどこが侵略なのよ?」と聞くと、「大虐殺をした」とか「無差別に攻撃した」といった抽象論しか出て来ないのです。結局は、ただ漠然と「日本は悪い」という感覚が常識となっているのではないでしょうか。感覚にまで達している歴史観にどう対処していくか、それが青年塾の課題だと思っています。
そして今日の聖戦祭に参加して一番の収穫は、志を同じくする青年塾の皆さんと出会えたことです。皆さんが良い人たちばかりで、一緒に食事、歓談出来て、とても有意義で楽しかった。年齢も出身も仕事も日常では関係性のない人たちが、年に数回集まって私的な事情から公的な問題まで語り合える「場」をまた一つ持てたことは好運でした。だから、青年塾は、なにも街宣車を走らせる必要もないし、無理矢理に塾へ勧誘する必要もないと私は思っています。小林よしのり名誉塾長の言う通りに「愛国者ならば、それなりの品格を持たなければならない」と私自身、肝に銘じています。