台湾へ慰霊訪問
(平成23年)
多治見國正
台湾の日本兵志願第一号の鄭春河先生が平成17年12月22日、81歳で永眠された。
整然先生は靖国神社に「嗚呼大東亜戦争」の歴史教科書をはじめ、数千冊の図書を寄贈され、また大東亜聖戦大碑の建設に際しては、台湾の奥の人々に募金を呼びかけられた熱血の士であった。
先生が病臥のため、聖戦大碑の完成式に参加できないという通知があり、多大の御尽力を頂いていたので大碑建設委員長の中田会長からの要請を受け、平成12年1月、台湾の御自宅にお見舞いしたのが、最後のお別れとなってしまった。
墓参に伺うべく思慮していたところ、昨年二月の機関紙「偕行」に、陸士同期の日高誠君のレポート「日華(台)親善友好慰霊訪問団」の事が記載されていた。その中で近年、毎年団体参拝されている大東亜戦争で散華された台湾の同胞、3万3千余柱の祀られている三箇所のことが詳しく報ぜられていた。私はそれまで台湾を三回訪問していたがいずれの箇所も参拝しておらず、鄭家の墓参と慰霊訪問と併せて昨年4月19日・20日と、単身で記載されていた次の三箇所を参拝してきた。
● 高砂義勇隊戦没英霊記念碑 (台北県烏来村瀑布路11号)
● 南天山 済化宮 (新竹県北埔郷南坑村三鄰1号)
台湾の靖国神社といわれている。
日本の靖国神社には2万8千柱の台湾戦死者が祀られているが、済化宮には約4万柱の英霊が祀られている。
前記記念碑も、共に人里離れた山中にある。
● 宝覚寺 (台中市北区健行路140号)
台中市街地図にも載っており、台湾で死去された日本人も別に祀ってある。
4月22日、新幹線台南駅に鄭春河先生の長男鄭名峰さんの出迎えを受け、同家を訪問した。鄭家4階の1室正面には鄭春河先生の祭壇が祀られ、A2号の大遺影が掲げられていた。両側の壁には偕行社、大東亜聖戦大碑建設委員会他多数の感謝状と先生の軍隊時代からの写真が並べられ、中央の展示ケースには勲章や数多くの遺品が並べられ、立派な記念館となっていた。先生の戦友ただ一人の生き残り、王仲発社長と共に、御霊前に生前の御尽力を深謝し、御冥福をお祈り申し上げた。
その後王社長と共に夕食を御馳走になり、色々と歓談した。
その中に、次のような話があった。
「中共軍に敗れ大陸から台湾に上陸してきた国民党軍(蒋介石軍)は、昭和22年2月28日、台湾の日本教育を受けた指導層4万人余を虐殺し(2・28事件)、戒厳令を敷き、台湾人の旧日本兵等は追われながら苦難の道を歩んできた」
その中で、彼等の一人が言ったという言葉が忘れられない。
「我々は日本に捨てられた。改めて敗戦の惨めさを身に沁みて感じた。が、日本は日本人に捨てられることのないよう、頑張りましょう」
鄭名峰さんから、今度の震災に際して、お見舞のファックスが届けられたので、紹介する。
謹啓 陽春のこのごろ皆々様には益々御盛栄の御事とお慶び申し上げます。
このたび東北地方に発生致しました未曾有の大地震、津波。ひいては原子能発電所の破壊、被害甚大との事、当地のテレビ、新聞は毎日の如く報道して居ります。
そして国民が整然と秩序を守り、一致協力して困難を克服し救助作業に当って居られる場面は全世界の称賛をあびて居ります。台湾の各会では義捐金の募集が始まって居ります。
復旧工事が一日も早く順調に進行されます様お祈り致して居ります。
先づは取急ぎ簡単ながら御見舞かたがた平素のご無沙汰のお詫びまで申しあげます。
時節柄御自愛の程祈り上げます
2011年3月29日
鄭名峰 敬具
多治見國正様