亡国の坂を転がり落ちる日本
(平成22年)

石川県海交会会長、石川県郷友会副会長

武部 敏克

終戦後、何くそ頑張るぞと、焼け跡から立ち上がり、食料は乏しく、目ばかり大きい痩せ細った日本人は、戦争で死んだ戦友のためにもと、歯を食いしばって日本再興に生き抜いてきた。
戦死した人、負傷した人、無事生還した人の三者三様。特に戦傷病者には社会復帰の目標があったが、現在は死語となり、残っているのは生活相談、医療扶助、法規指導の援護事業の継続であり、まだ戦後は終わっていない。

過日北國新聞の社説に「国民への説明も国会での論議もないままに、また韓国への謝罪が繰り返された。政治的な配慮をしたところで、両国間の歴史認識問題は解決しない。台湾からは『植民地支配』を指弾する声が聞かれないのに、なぜ韓国から当然のように謝罪要求があり、それに唯々諾々と応えるのか。欧米諸国は一切植民地支配について謝罪していない。」との趣旨が述べられていた。

台湾の戦友は、私達は日本人であったからこそ、今の日本人の大切な忘れ物「大和魂」と「教育勅語」を頂きたいと言っている。
曽野綾子さんは「一国の閣僚たちが、近隣国の顔色をうかがって自国の戦死者たちに敬意を払わないという。靖国神社に参らないことがあたかも立派な思慮深いことのように思っている」という、心に残る一節を書かれている。

北國新聞の『地鳴り』欄に、「なぜ首相は靖国参拝しないのか」の16歳の高校生の一文があり、次の日本を託せる日本人、ここにあり≠ニ快哉を叫んだ。
要約すると
「今年も日本国の代表たる首相が靖国神社に参拝されなかったそうだが、なぜ武道館に足を運ぶことができて、英霊たちが眠る場所『靖國』には行かないのだろうか?大事なのは祖国の為に命を賭して戦った英霊たちへの感謝と鎮魂≠ナはなかろうか。確かにA級戦犯となった方々も祀られてはいるが、ただそれだけの理由で、日本国の代表が参拝しないと云うのは多くの英霊たちに、あまりにも失礼ではないだろうか」
というものであり、康殿識見に深く感服させられた。
私は17歳で旧海軍に志願、潜水艦乗組員として北方に、南太平洋にと書く作戦に参加、戦傷の身を生かされた者として、特に感銘を受けたのである。
亡国の坂を転がり落ちる日本を憂うるだけでなく、いかにして食い止めるか、真剣に国民全体が考え、行動する時であると思う。

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