君側の奸に哭く
(平成18年)

上村電建渇長、大東亜青年塾顧問

上村彌壽男

去る7月20日、元宮内庁長官富田朝彦氏の昭和63年当時のメモが公表された。
それによると昭和天皇はA級戦犯の靖國神社合祀に不快感を示され、以来同神社への御親拝は途絶えたとある。
不祥私の叔父は比島にて戦死。それもさることながら、私の小学校の級友には15歳にして海軍特年兵を志願し、昭和19年2月6日、海軍陸戦隊として南方クエゼリン島に於いて玉砕、時に若干17歳、紅顔の少年であった。彼の私宛の最後の便りは、「祖国を守り、陛下の御為、一命を捧げるに悔なし」と。
さて、富田メモには、陛下は14柱の合祀に不快感を示され、その理由のもとに、250万柱への御親拝を自ら中止されたのであると。
私達遺族、戦友はこの様なメモが、真実果して存在したのであろうかと疑う。
仮にこのメモの通り、陛下の御心中が本当とするならば、戦後43年間、宮内庁は極東軍事裁判の結果を、如何なる内容として言上してきたのであろうか。天皇と国体護持の為、すべての罪名を甘受したであろう戦犯を何と御報告申し上げたのか。聖戦の大義を捻じ曲げてのそれは、まさに輔弼の責任の重大な過ちというべきである。
第二には、14柱の戦犯合祀に異議ありとしても、片や250万柱の英霊には当然、御親拝を続けていただくよう職を賭して御進言するのが臣たる道でなかったのか。
その事が明治6年、明治天皇が武蔵野に招魂社(後の靖国神社)を建立され、行幸された大御心を継承することに連なるものである。
遥か宮城を拝み最後の陛下万歳を声を限りに散華した英霊たちにこのメモが伝わったならば、土を掴み海底に頭を押し付けての慟哭が聞こえて来るのである。
このメモが残した描写が真実ならば、彼こそまさに君側の奸ではなかろうか。
ただ、この時期この発表が政局の一方に与し、戦犯分祀の世論を促し、更には昭和天皇の御遺徳までを冒涜し、崇敬の念を離反させ、ひいては万世一系天皇そのものを崩壊させる陰謀が潜んでいるならば、このことも十分に警戒すべきことであると思うのである。

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