何故大東亜聖戦大碑を磨くのか
(平成26年)

上村電建株式会社代表取締役会長

上村 彌壽男

1941年(昭和16年)日本は米英蘭支の4ヶ国と戦争し、1945年(昭和20年)8月15日、完膚なきまでに叩きのめされた。それは日本国建国以来初めての敗戦であった。
開戦の理由はいくつもあった。だが、大きな理由は自衛の戦いであり、翻って第二は亜細亜に侵略してきた白人植民地の解放であった。
その証左となるのが、戦後(1945年以降)独立した国家は、アジアで50ヶ国近く、アフリカで10数ヶ国が独立した。

◎ 即ち日本は敗れたが、数十カ国の有色人種の国々が独立を達成した。
◎ だとするならば大東亜戦争は我が国が主張してきた八紘為宇の思想と合致する。
◎ しかしながら、世界中から、日本は大いなる侵略国の烙印を押された。それは、戦後行われた極東軍事裁判の判決であって、独立国を誕生させた日本には平和の罪、人道の罪過が重ねられた。一方、広島・長崎の無辜の住民、殺戮の大罪(原爆死50万〜100万)は不問に付された。
◎ 大東亜戦争は決して侵略でなく、連合国相手の黄色人種の独立援助戦争であった。

私達は無念ながら敗れたが、この大東亜戦争の意義を後世に伝えるべく、聖戦大碑なるものを建立するため、平成6年(1994年)その建設に着手した。
建設の実行責任者は、草地貞吾(元関東軍参謀)、米沢外秋(県議、全日電工連会長)、中田清康(環境公害研究センター社長)の3氏が中心となり、護国神社の境内使用の許可を取り、高さ約12mの大碑(総御影石(白))を総工費約1億円を全国数1千人から募財し、平成10年(1998年)8月4日、盛大な竣工式を挙行したのである。

以上が大東亜聖戦大碑建立の大きな動機と理由であり経緯である。
大東亜戦争は聖戦なりと、かくしてこの碑こそ、侵略ではなくアジア独立への聖なる戦、そして八紘為宇の尊い犠牲が日本人の本当の心であると記載してある。

毎年8月4日、故米沢外秋氏は大碑の洗滌を遺言としてのこされ、私 上村彌壽男に託されたのである。
以上が大東亜聖戦大碑を毎年清掃する所以である。

HOME