大東亜戦争は「聖戦」であった
(平成14年)
渡井 昇
世界中を震撼させたアメリカを狙い撃ちした未曽有のテロ事件、事態を呑み込むのに、時を要したのは私だけではない筈。破天荒に過ぎました。
然しながら、この事件と真珠湾奇襲攻撃を同一視は出来ない。60年前、日本軍は突如真珠湾を急襲したが、無辜の民間人を巻き添えにするような卑劣な行為はしていない。日本軍には軍規があり、軍律があった。みいくさの軍なら当然であった。大東亜戦争の末期、原子爆弾の開発を昭和天皇がお止めになっている。負け戦だから止めたのではない。
日本の真実歴史を知れば、過ぐる大戦が「聖戦」であったことが容易に理解できる。パール判事の予言によれば、やがて世界中に理性が甦り、東京裁判の判定を下した女神がその所を変えることを要求するであろう、と表明している。日本は無罪であったのである。
既に50年も前、あのマッカーサーが「東京裁判は間違いであった」と暴露している。彼は良心の呵責に耐えられなかったのである。しかるに、日本人自身がその呪縛の縄を解こうとしていない。
その責任は一体誰にあるのか。ぬるま湯につかってしまった政治家である。
国民はほぼ本当の歴史を知ってしまった。政治家よ、日本人よ、恥を知れ、靖國の御英霊が嘆いているぞ。日本民族の真骨頂を披歴せよ。世界に問え。