ネトウヨよ、安重根の精神を見習え
(平成27年)

針原 崇志

最初に申し上げておきますが、私はれっきとした日本人です。念のため(笑)
父母も、祖父母も(その先は知りませんが)日本人、富山生まれ富山育ちの日本人です。
そして韓国側の愚劣な言動にイラッとすることも多々ありますが、その上で、あえて韓国が英雄と讃える安重根を賞讃するような文章を書かせていただきます。


安重根について、まずよく言われるのは
「安重根は単なるテロリストだ。テロリストを英雄と讃える韓国は異常だ」とする評価です。
たしかに、安重根は伊藤博文を暗殺したテロリストです。
しかし「テロリストである」ということ自体、非難の対象になるのでしょうか?

わが国の歴史を顧みれば、たとえば吉田松陰もテロリストといえるでしょう。そしてテロリスト養成機関「松下村塾」から高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、そして伊藤博文といった錚々たるテロリストを輩出しています。明治維新は、テロリストがその政治目標を達成したものといっても過言ではありません。
またずっと遡れば、乙巳の変(大化の改新)もまた、中大兄皇子、中臣鎌足らによる蘇我入鹿暗殺テロです。無礼を承知で申し上げるならば、いまの皇室はテロリストの末裔ともいえるわけです。
さらに、テロリスト集団「赤穂浪士」が起こした吉良上野介襲撃テロは、美談「忠臣蔵」として今に至るまで語り継がれ、日本人の涙をさそっています。

無辜の民間人を標的とした卑劣な無差別テロは別としても、事程左様に、政治目標を達成するための手段の一つとして、我々日本人は長らくテロ行為を受け容れてきたのではないのでしょうか。
それを、ただ単に「テロリストだから悪い奴だ」などと短絡的にしか考えられないのは、しょせん「暴力反対!戦争反対!」の平和ボケ思想の賜物といえるのではないのでしょうか。あるいはテロを絶対悪とするアメリカにまんまと飼い慣らされたというべきか。
「平和ボケ日本」を憂い、アメリカの価値観押し付けに反発する右寄りの人間ほど、安重根に対しては上記のような評価しかできないのですから皮肉なものです。


また、「伊藤博文は韓国併合に反対していたのに、その伊藤博文を暗殺してしまった安重根は愚かだ」
とする評価もよく聞かれます。しかし、後の歴史を知った上で「あの時こうすれば良かったのに」などと非難することは誰にでもできることです。

たとえば大東亜戦争にしても
「大和・武蔵を建造するよりも空母・航空機の生産にもっと力を入れるべきだった」
「イギリス・オランダのみを相手とし、アメリカには絶対に手を出すべきではなかった」
「まずはドイツと協力してソ連を潰してしまうべきだった」
「ドイツと同盟を結ぶべきではなかった」
「日英同盟を破棄すべきではなかった」
「アメリカの鉄道王・ハリマンの南満洲鉄道共同経営案を受け容れるべきだった」
等々、アメリカに勝つ方法、敗れない方法、あるいは戦わない方法を考え出すことは、様々な情報を手にした後世(当時の人々から見れば)の我々にしてみれば至極簡単なことです。しかし当時の人々は、当時手にすることができる限りの情報をもとに、右往左往するしかなかったのです。

こんにち我々が頭を抱えている諸問題も、100年後の人々にすれば「こうすれば簡単に解決できるのに」という程度のものになっているかもしれません。しかし、現在に生きる我々は、現在手にすることが出来る限りの情報をもとに右往左往するしかなく、時に後世の人から見れば愚かしい選択をする可能性も十分ありうるのです。

安重根が暗殺の理由として掲げた伊藤博文の「15の罪」を見てみれば、たしかにまったくトンチンカンなものです。しかし、情報社会の現代でさえ「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」といった与太話が大手を振ってまかり通っているのを考えれば、ずっと情報の限られていた当時にあって誤解が多々あったのもやむを得ないことではないのでしょうか。
日韓関係の混迷という情勢の中にあって、当時手にすることができる限りの情報をもとに、伊藤博文暗殺という道を選んだ。その選択を、軽々にせせら笑うことができるのでしょうか。


そうして伊藤博文暗殺という道を選んだ安重根も、けっして蒙昧無知な人間ではなく、学識が高く、普段は心穏やかな人物でした。そして暗殺後は従容として取り調べに臨み、その堂々たる態度に日本人の検察官や判事も感銘を受けたといわれています。収監された後、数多くの日本人が安重根を慕い、日本人と安重根との間に心の触れ合いがありました。(詳細

片や、穏やかな人柄でありながら国難にあって身を挺し国に殉じた安重根
片や、名前すら明かさず安全なところに身を置きながら感情任せに相手を口汚く罵るだけのネトウヨ

いずれがわが国の誇りとする武士道精神に適った生き様か、いうまでもないでしょう。
だからこそ、武士の気風を色濃く残す明治日本の人々も、安重根の行動を「天晴!」と賞賛したのでしょう。


もっとも、韓国側の愚かしい言動に対して反発の態度を示すこと自体を否定するつもりはありません。
それは日本にとって必要なことであると私も考えています。
しかし、同じ発言をするにしても、その姿勢によって発言の重みは全く違ってきます。
たとえば、同じく「平和の尊さ」を語るにしても、古老が物静かに語る「平和の尊さ」と、田嶋●子がヒステリックにわめき散らす「平和の尊さ」では、発言の重みは全く違うようなものです。そして田嶋●子がヒステリックに叫べば叫ぶほど、「平和の尊さ」は笑いの種になってしまいます。

いまや「ネトウヨ」は嘲笑の対象になっています。
それというのも、その軽薄な姿勢や、読むに堪えないような知性の感じられない言葉遣いによるものといえるでしょう。
そのネトウヨが「愛国」「憂国」を語れば語るほど、その言葉は滑稽なものに成り下がってしまいます。

ネトウヨ諸氏が小馬鹿にしている安重根の精神を少しは見習っていただきたき、己の人格を高め、国のために殉じるぐらいの気概をもって、正々堂々と、穏やかに、かつ凄みのある発言をしていただきたいものです。

それができないような頭の悪い腑抜けた卑怯者ならば、かえって「日本国」「日本人」そのものの品性を貶めることにもなりかねないので、分不相応にも愛国者を気取ってレベルの低い発言をしないでいただきたい。

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