愚論「大東亜戦争は避けられたのではないか」
(平成9年)

日本をまもる会会長、大東亜青年塾塾長

中田 清康


はじめに

無謀な戦争に突入したとか避けるべき戦争であったということがよくいわれる。敗戦ゆえにこの様なことを、今どきの考えでいわれることは私共戦争世代にとっては全く耳障りなことである。言うは易きであるが、これは英霊に対する冒涜であり、戦争を真剣に戦った往時の人々への侮辱である。

とるに足らぬ愚論であっても、反戦・平和・軍部の独走などと言えばもてはやされる風潮が半世紀に亘って続き堂々まかり通っている現状である。

その時代背景を無視、当時の現実も知らず戦後的思考からの無責任な後知恵論が横行し、真実が影を潜めている結果である。もし軍部の独走といわれるあの満洲事変でもそれによって成し遂げられた満洲国が長く続き、五族協和・王道楽土・夢の理想郷として隆々発展の道を辿れば後世この軍部の行動こそ住民の幸せを願った至高の判断、先見の明とされるのは間違いない。勝てば官軍、負ければ賊軍である。

私は戦争を大小、勝敗を問わずすべて人智の及ばぬ天意によるものであると思考する。その意味から大東亜戦争は、被抑圧民族解放の最たる天命戦であった。アジアの一小島国日本が、十九世紀末から二〇世紀初頭にかけ日清、日露両役にはじまり大東亜戦争に至る半世紀に亘り懸命に戦った結果を見れば、説明するまでもなかろう。

天はこの偉大な戦いを日本に課し成し遂げさせたにも拘らず、敗戦の試練を与えた。これこそ傲慢を抑える至上の天意であろうか。そして又、日本破壊謀略による邪道横行、現在の混乱こそ、大和民族をより昇華工場せしめんとする混乱であると観ぜざるを得ない。

さて、話を現実に戻そう。

現在大東亜戦争といっても分からぬ世代が多い。戦争従軍者すら太平洋戦争と言ってはばからぬ者さえある。この言葉一つでもアメリカが仕掛けた謀略の罠から抜け出れぬ弱体化病毒に深く侵されている日本の姿がある。


大東亜戦争突入に国民は感激

昨年私はある本で、今をときめく先生が大東亜戦争への突入について深い疑念を捨て切れず、避け得る何らかの合理的方法があったはずでないかと述べられているのを見て今後影響の大きい方であり手紙を差上げた。大略次の様である。

「私は旧満洲国で米英との開戦を迎えたがその感激は忘れ得ぬものであり、これは出会った者でなければわからない。

蘆溝橋事件以来四ヶ年余に及ぶ重慶政権援助の米英に対する怒りの鬱積こそ十二月八日の感激の根源であり、アジアをアジアに取り戻す我国の使命感の爆発として血沸き、肉躍るものであった。又、平和を求める延々八ヶ月に及ぶ我国の誠意に対し米国はハルノートで愚弄した。他に如何なる解決の方法があったか?お聞きしたい。

又、日露戦争後のハリマン提案を日本が受け入れていれば当時は対支戦略で日米協調がはかられたであろうが、他日日米紛争の種を残す。その上日露戦争勝利によってもたらされたアジア解放独立の機運に影を落とし、その妥協は有色人種のチャンピオンとして輝く日本が新たな欧米侵略者の走狗と言われかねぬ。又、大東亜戦争を避けていれば被抑圧民族の独立が今世紀あり得ただろうか?」という様な質問を差上げたのである。

それに対する明快な御回答は頂けなかったが、ただ細川隆一郎さんも私(中田)と同じ事を言われた由であった。又この問題はコミンテルン研究によって今後解決致したいという様な甚だ漠然たるものであった。

その後、年賀状を先生から頂いたがそれには

「新しい歴史教科書をつくるので御支援を」と記されてあった。年頭S新聞に於てさる著名人との対談記事が目にとまり、それには先生が大東亜戦争を避ける選択肢の一つとして石橋湛山の小日本論を語られて居たので、これについて私見を述べてみたい。

何はともあれ私としては大東亜戦争の意義を明確にすることが最も大切な事であると思っているので先生に対する要望のつもりで本誌に記すことにするが、機会をみてなんらかの形で問題提起をしたいと思っている。それで先生への文章として述べてみることにする。


先生へ

もし新しい教科書をつくられるなら大東亜戦争の意義を明確にして頂きたいと思います。この点をあいまいにして日本の正しい歴史を語ることは仏つくって魂入れずとなると考えるからです。昨年失礼を顧みず申し上げましたが、先生はお考えの底辺にこの戦いはすべきでなかった、避ける道があった筈と思って居られる様なので冒頭述べた如くその視点からの後知恵による評価は避け、意義をはっきりして頂きたいと思って居ります。昨年明確な御答えがなくコミンテルン云々と仰っておられた様ですが、本年頭の御対談中たまたま石橋湛山の植民地放棄小日本論を述べて居られましたのでこれが考えて居られた合理的方法であったかと愚考した次第です。これについて再度簡想を述べることをお許し願います。

充分御存知のように明治の先覚は押し寄せる白色侵略の危機に際し祖国とアジアの為まず隣国の覚醒、奮起を求め共に欧米に当らんとしましたが、眠れる老清国、蒙昧事大の朝鮮は我が望みに応えず、遂に福沢明治十八年の脱亜入欧論の如く自ら発奮することとなりました。その自衛戦略からの富国強兵はよく日清、日露両役を制し東アジア安定の基礎を確立したのであります。

日露戦争の勝利は白人傲慢の終焉、アジアの黎明であり、我が大和民族の誇り、そしてアジアのため流した血潮こそ中韓の我が国に最も感謝すべきことであります。韓国併合については木を見て森を見ぬ論が横行して居りますが光の部分が圧倒的なのであります。今かの国が大発展の土台は彼等が塵芥の如く悪罵雑言する日帝統治三五年の成果であります。

ここでは紙数の関係で記すことはできませんが、別紙に記した犬養毅明治二五年の演説をよく御研究頂ければ幸甚であります。

明治四二年、韓国併合後第一次大戦、シベリア出兵などを経て昭和まで僅か十五年、その間大正十三年には外蒙古を赤化し衛星国としたソ連は次いで満洲の共産化をターゲットとし、そこへ革命謀略を集中、我国が日露戦争勝利によってロシア軍を追い出した後の諸権益と在留日本人に対し放火、略奪、暴行、殺人等々目に余る事件の数々を起こしその数は昭和初年から柳条湖における鉄道爆破によって堪忍袋の緒を切った関東軍による満洲事変決起に至る間千件を超えて居たのであります。又これとは別に満洲の権益を担うアメリカも反日煽動を後押ししており、満洲事変は正当な権益に対するこれら革命謀略と張学良を援助し利権をかすめんとする米国の野望に対する正当防衛と言えるものであったといえましょう。日本をそこまで追い込んだ満洲事変前史こそ特記されるべきものであると考えて居ります。次いでコミンテルンの指示を受ける中共は西安事件から蘆溝橋事件に至る一連の戦争挑発犯罪を重ね、日本を戦いに引き込むことに成功したのであり、その後の日米交渉における米国のあくなき野望挑発と共にコミンテルン、中共、米国が戦争を仕組んだ大犯罪こそ許すべからざる戦争の元凶であります。さて前に戻りますが、この様な赤化謀略と米国の利権挑発の入り乱れる状況下に於て単に自国の出費を控える経済的理由のみで我国が大陸経営を放棄するならばどうなっていたでありましょうか。私は朝鮮、台湾、満洲を一般常識で言う植民地と同一視できませんが、その営々と築かれた経営を放棄する事は全くのナンセンスと言える無責任なやり方ではないでしょうか。日本国民として誇りをもって喜んでいた台湾、朝鮮の人達(少なくとも私が接した人々はそうであった)は勿論、日露戦争後の満鉄経営の成果をはじめ、満洲国成立で有史以来の平和郷として生まれ変わった王道楽土満洲国の人々は果して喜びを以て日本の撤退を向かえたでしょうか。恐らく悲嘆にくれることになったと思われます。

現在残留孤児の養父母を人道面のみで讃える人が多いが、それのみではありません。かの地の人々はロシアを追い払った日本人を平和の貴種として崇めていた面が多くあります。私の在満当時接した満洲人の多くの口からお世辞ではなく「ターピーズ テンハオ メイユ、リーベン ターダ テンハオ」(ロシア人は悪い奴だ、日本人は大変よい)という言葉をよく聞きました。これは何を意味するものでしょうか。恐らく今世紀初頭全満洲を占領したロシア軍の横暴非道と、それを打ち負かし追い払った日本軍への賞賛尊敬、そして又満洲建国によってこの匪賊横行、群雄割拠の治安悪しき地に安住の平和をもたらした日本に対する感謝があったものと考えます。さてこの地域の空白が如何なる事態をもたらすものであるかは赤化謀略とアメリカの陰謀は前述の如くであり、無責任な放棄論は東アジア安定に対する父祖の鮮血で築かれた尊い先祖の辛苦によって営々と築かれた大陸経営を経済功利主義のみの視点か論ずることは出来ぬことであろうかと考えます。

又、我が民族の誇りと伝統があります。苛酷な植民地経営を数百年続けた白人諸国はそこが自国の領土であったことを誇りとして今以て自負して居る事は事実であります。謀略に負けてアジアの為戦った立派な自国に泥を塗り謝罪反省などすることは笑いものであり、英霊祖先への大きな侮辱であることをも考えるべきです。今の骨を抜かれた日本人ならそれでよいでしょうが、小日本になることなど、真の大和魂ある当時の人々にはたわごとに過ぎません。

さてここでもう一つ述べさせていただきたいと思います。戦後長く自虐思考の根源となっている「あの戦争や植民地支配で我国が周辺諸国に甚大な被害を与え、多大な苦痛をもたらした。心から反省する」という言葉があらゆるところで当然の如く述べられていることは、大東亜戦争を悪であると烙印を押すことであり、絶対に許せないことです。

前述いろいろ申し上げましたが日本がハル通達を呑み大陸から撤退すれば日本民族はそこで窒息し、白人支配の世界地図は塗り替わることなく二一世紀へ引継がれたことでありましょう。大東亜戦争は赤化謀略とアメリカの挑発によって引きずり込まれましたが、虐げられた民族解放の天命戦でありこの使命を日本は成し遂げたといえます。


むすび

現今、枝葉末節のありもせぬ諸悪をばらまかれ大局を見失わされて居りますが、戦争即ち非常事態中の特殊な出来事を指し日本をすべて悪と律することは、太陽の黒点を以て太陽は黒いとする類であります。二〇世紀の悪を挙げるならば第一に共産主義のもたらした数千万の犠牲を生んだ巨悪こそ最大のものです。ソ連、中国で行われ東欧で行われ今も北朝鮮が苦しんで居ります。日本もそれによって戦争に追い込まれ苦しみ、現在に至るもその悪魔に苦しめられて居ります。

またアメリカの野望と挑発、原爆投下すべてあげつらうべき大悪です。日本人がソ連へ六〇数万人強制連行され塗炭の苦しみを味はされましたが、教科書ではこの厳然たる非道無道を述べず、強制連行の事実さえもない慰安婦を大きく取り上げるなどバカバカしき謀略にやられた実態をこそ断固究明すべき重大事なのであります。

以上私の申し上げたい事は大東亜戦争の歴史的意義を明確に、これを民族の誇りとして高揚する事によって戦後暗雲を一掃して頂きたいと念ずることに尽きます。日本は紛れもなく正義でありました。

以上表題の「大東亜戦争は避けられたのではないか」など論ずることは天意即ち日本民族の偉大な使命と業績を考えぬ愚論といえないでしょうか。

HOME